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フジコのピアノ、喫茶店

今日はすみだトリフォニーホールでフジコ・ヘミングのピアノを聴いてきた。フジコの背中は丸まっていて、舞台の袖からピアノまで歩行器につかまってやっと歩いているような状態なのだけど、いったん弾き始めると何かが宿ったようにしゃんとするのだった。前半は天使にも幽霊にもみえる白い衣装、後半は和洋折衷な着物みたいなガウンを羽織っていた。ところどころミスタッチがあったりもするけど、どの曲もすごく自由に、彼女なりのリズムで弾いていた(一緒に行ったBちゃんも、なんか雰囲気がジャズの人だよねーと言っていた)。ウクライナ侵攻のことに心を痛めているとのことで、プログラムにあるロシアの作曲家(ラフマニノフ)のはやめて、かわりにショパンを弾いていた。自分でマイクを持って自分で進行しながら演奏するのも、あんまり気の利いたことを言わないのもかっこよかった。音楽関係の仕事に就く人のフジコ評は散々なものが多いけど(とくにピアノの先生をしている人は「フジコは正確さに欠ける、ふつう聴きに行かないよ」と怒る)、わたしは音楽に通じていないし、正確なものを聴きたいわけじゃないからいいのだ。自分の人生を生きている人を観たい、この人と一緒の時代を生きているんだ、という感覚を味わいたい、コンサートに行く理由はただそれだけだ。ピアノはとても優しい音色だった。フジコのクラシック音楽に対する敬意も半端じゃないと思う。彼女の場合はたぶん(多少正確さに欠けることはあっても)人生の限り弾く、という姿勢でもってその敬意を表しているんじゃないのかな。89歳って、それだけで尊いし。

錦糸町という街で音楽を聴くのも新鮮だった。喫茶店のハシゴなんて女子友だからこそという感じ。Bちゃんの実家は猪苗代といって福島でも寒い地方なので、桜はこれからなんだそうだ。今日は着物で来るものとばかり思っていたら、ちょっと民族風の麻のワンピースに和風のサンダル姿だった。暑くてとても着付けをする気分になれなかったとのこと。総武線が秋葉原駅についたところで別れて、彼女は熊谷(「日本一暑いまち」の座を鳩山町に奪われた)に帰っていった。



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