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クスリのリスク


さあ、いよいよ点滴もはずれて投薬中心の治療になったので、本格的に病院を探検してみるぞ

弁当だ!

こっちにはサンドイッチもあるぞ!

宝の山だ~!

でも、せっかくわたし(とんかつ)の体調を考えて毎日の食事を作ってくれている方々を裏切ってしまうような気がしたから買わなかった。実際おつうじもいいし体重も7キロ減った。

でも、「ダブル炙りキャベツ味噌チャーシュー大盛」(2014年 仙川)が急に目の前にあらわれたら、わたしは無我夢中で食べてしまうだろう。まだまだ修行が足りないのだ。

では今回も伝えなければ失われてしまう物語を記します。


1998年ーー

(DJリッチー・ホウティン)

わたしがクラブで踊るようになったのは、かの「完全自殺マニュアル」の著者鶴見済氏の「檻の中のダンス」(1998年 太田出版)を読んでからだ。

「監獄のような社会に対して、自由な踊りのレイヴこそが暴動だ」

当時20代前半の怒れる若者だったわたしは本の内容に感銘を受け、友達もいないのに1人クラブに赴いては、白目をむいて体を激しくケイレンさせるという「暴動」を起こしていた。

当時クラブにはドラッグの問題があった。

そしてわたしには髪型、茨城なまり、外斜視、コンバット体型などなどヤバい問題が複数あった。
年間10回も警察に職務質問されるので、わたしはドラッグには手を出さなかった。というか堂々と生きて行きたいので犯罪行為はしなかった。

しかしドラッグをやっている奴はもてた。ある彼には恋人も友達もたくさんいた。服も高くて流行のものを着ていた。彼は自信に満ち溢れているように見えた。

そんな彼(Aくん)とある日某クラブのバーカウンターで話す機会があった。

「ウェーイとんかつのとん踊りヤバくね!?」
「Aくん羽振りいいね仕事何やってんの?」
「運び屋 代わってくんね?」
「無理 それそんな儲かんだ。」
「いや全然 売人やれって言われてる。」
「やばくね。」

「どっちにしろ1999年の7の月にはみんな死ぬしよくね?」

彼はノストラダムスの大予言を信じていた。いや、彼はノストラダムスの大予言を信じなければならないほど精神的に追い詰められていて、もはや「約束された平等な死」だけしか彼の心を救うことができないんだと理解した。

その後、ご存知の通り恐怖の大王は来なかった。

Aくんの姿を最後に見たのは1999年の年末 
誰かに殴られたのか 歯がなくなっていた

終わらなかった地球を どんな気持ちで過ごしたのか 21世紀を迎える事ができたのか

今も生きているのか


分からない。

(ドラッグをやらないわたしは今こんなです。)

つづく



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