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メメントの大盛りを
(写真は荒川修作氏の建築作品、「三鷹天命反転住宅」(2005年)。以前住んでいた場所の近所だったので何度も足を運んだ。)
うおおおせっかく一生食べ続けたいカップラーメンに出会えたというのに!(カップヌードル・ポークチャウダーあじの事)
気がつけば、わたしは心臓の病が発覚してから1ヶ月経っていました。当然塩分が高いカップラーメンなどの食べ物はいっさい禁止です。エースコック…
さて有名な「死を思え(ラテン語:memento mori)」という言葉がありますが、逆に、わたしは現代美術家/建築家の荒川修作氏(1936-2010)の「自分の芸術に一切の制限を設けないために、私は死なないことにしているんです。」という内容の発言に感銘を受け、「死を思わない」「天命反転(誕生→死に向かう ではなく、死→誕生に向かう という生き方)」を座右の銘として生きてきました。
その言葉が、何度わたしを助け、励みになってくれたことでしょう。建築現場で日勤と夜勤を休みなく続けながらも笑っていられたのは、「人間には無限の時間=可能性がある」と信じていたからこそでした。
あと脳に欠陥があったのかもしれない。
あとフリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の提唱する「超人」になりたいと思い、そのための修行をしているつもりでしたがどちらかというと
キン肉マンの「超人」に近づいて行ってしまいました。
(とんかつ画 2015年)
しかし今、病を経て、「このまま何も残さず消えてしまうのは寂しい」「おれは本当にやりたい事をやって生きたという、証を残したい」と思うようになりました。
これが、この気持ちが、極めて人間らしい考え方ーー「死を思え」というたまらなく切なくて愛おしい考え方なんだなと実感しました。
わたしが生きてた証ってこんなのですが
(とんかつ画 30分前)
さあ!それでは、今回も、誰かに伝えなければ永遠に失われてしまうストーリーがあるので、ここに記したいと思います。
…
1993年 夏 つけもの工場
「おはようございます!今日からアルバイトさせていただきます、(とんかつ)です!みなさんよろしくお願いいたします!」
茨城県北部、阿武隈山地の山あいにあるつけもの工場。
新しいギターが欲しかった高校生のわたしは、父の知り合いが経営する食品会社のつけもの工場で夏休みの間アルバイトさせてもらえる事になった。
時給は530円。今思うと安すぎるが、仕事がない茨城県でなんとしてもギブソンのフライングVが欲しかったわたしは、真新しいかっぽう着と白いゴム長靴を履いて、張り切って工場のみなさんにあいさつした。
(ギブソン フライングV 参考価格 )
1日だいたい4000円ぐらい稼げるとして、夏休み30日働けばギリ買える!わたしは、まず浅漬けゾーンに配属された。
浅漬けゾーンにはわたしの他に3名ほど先輩のパートの方たちがいて、みなさん母と同じ50代ぐらいの女性だ。
わたしはきゅうりの浅漬けのパッケージングを教えてもらった。
まず10センチx10センチぐらいの透明な箱型パックにおばちゃんが切ってくれたきゅうりを三本いれて、5こx10列ぐらいに作業台にきれいに並べ、端から やかん で浅漬け液をフチまで注ぎ素早くプラスチックの蓋をのせて、なんか熱で封をする機械にセットしたのちハンドルを右に引っ張るとガチャコンとなって蓋が封をされる。ギュッと押しても液が出てこないようだったら丁寧に青いコンテナに並べて、今度は商品のステッカーを1枚1枚 つかれた
ちくわ
…
ガチャコン
ガチャコン
ガチャコン
ガチャコン
30分で辞めたくなってきたが、わたしの左側には先輩が3人がかりで切ったきゅうりの山ができていた。ガチャコン。紫色のパーマの先輩がキレた。
「どいて!」ガチャコンガチャコンガチャコンガチャコン
驚異的な速さだ。
「このぐらいの速さでやんないと間に合わないがんね!」
「すみません!」ガチャコン ガチャコン ガチャコン ガチャコン…
一時間かかってようやくコンテナ一個分のきゅうりの浅漬けのパッケージングが出来た。しかし社長がチェックのためパッケージをギュッと押すと、浅漬け液がパッケージから漏れ出てきた。
社長「これじゃあ全部やり直しだっぺ。」
わたしは紫パーマ先輩がでかいため息をつきながら凄まじいスピードでもう一度封をするのを、やかんを持ってただ眺めている事しかできなかった。
仕事で失敗することとはこんなに情けなくて気まずいものなのか…
アルバイト初日でフライングパーマをあきらめVしそうになったが、はじめての休憩時間、田んぼに映る阿武隈山脈を見ながらジュースを飲んでいると、
「~ねえ、お兄さんは高校生?」
と、まるでなんかのアニメのヒロインのような可憐な声で話かけられた。
1993 恋をした
Oh 君に夢中
普通の 女と 思っていたけど
Love 人違い Oh そうじゃないよ
いきなり 恋して しまったよ
つけものの君に
(引用:Class「夏の日の1993」作詞 松本一起(一部改変))
期待とともに振り返って見るとアニメ声のおばちゃんだった(キムチゾーン担当)。
「~余ったキムチ食べる?(可憐)」
夏のロマンスなどあるわけがなかったーー
ーー2週間後。
コンガチャコンガチャコンガチャコンガチャコンガチャコンガチャ
「終わりました!」
「じゃあ次は白菜の南蛮漬けお願い!」
そこにはすっかりつけものパッケージのプロになったわたしがいた。「素早くちゃんと封をするにはガチャコンじゃなくてコンガチャ」というコツを見つけてからは誰よりも速く青いコンテナを積み上げられるようになった。
「(とんかつ)君、ちょっといいかな?」
社長に呼ばれた。配達に付いてきて欲しいとの事。2トン車に乗り込んだ。
…
「敏雄さん(父)の息子さんだけあってさすが仕事覚えるの早いね。」「社長とみなさんのおかげです。」
「こりゃ夏休み終わるまでに浅漬けの班長にもなれるな」「(なりたくないです)ありがとうございます。」
「…進路は決まったの?」
わたしは答えに詰まった。
幼い頃から、父に「将来は教師に」と言われ続け、そういう勉強をしてきたものの、今クラスメイトたちが受験勉強の夏期講習を頑張っている中わたしはギター欲しさに漬け物ばかり漬けている。
なぜならわたしはもうすでに進路を決めていたからだ。
しかし、
「進路は、東京に行ってスラッシュ・メタルをやることに決めています!」
とは親にも先生にも絶対言えないし言ってなかったので、当然社長にも黙っていた。誰にも夢を否定されたくなかった。
「……。」
「もしまだ進路決めてないなら、ウチに就職しない?(とんかつ)君ならキムチでもべったら漬けでもできるよ。いつか工場を任せてもいい。」
スラッシュ・メタルとべったら漬け
打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?
可能ならば、この時のわたしの耳元で「スラッシュ・つけものメタルを工場でやるのはどうか。」と囁きたかったが、宇宙の法則が許してくれなかった。
2トン車のエンジン音だけが低く鳴っていた。
配達先に着いた。
水戸駅の物産展だ。車から浅漬けや沢庵やべったら漬けを降ろし台車で運んでいると、聞き覚えのある笑い声が聞こえた。
それは、夏期講習の帰りに水戸で遊んでいるのだろうか、わたしのクラスメイトたちだった。
遠くからわたしを指さして笑っている。私服の彼、彼女らが夏の光りを浴びて眩い青春の輝きを放つのに対し、
薄汚れてしまったかっぽう着と白いゴム長靴のわたしは光を反射できず真っ暗い影になった。
好きな女の子にもこんな格好を見られて、わたしは
スラッシュ・メタルからデス・メタルへと音楽性が変わった。
おわり 完
つづく
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