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家族の話

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14年前のブログ。

今朝、思いもよらず過去の自分と遭遇した。 今から約14年前に書いていたブログ。 現在は 長女26歳、次女18歳(大学1年生)、三女11歳(小学校6年生)なんだけど、 ブログは 長女11歳(小学校5年生)、次女4歳(年少)から始まっていて 三女に至っては、この世に誕生すらしていない。 この頃の家って… 主人はほとんど家にいなくて、私はフルタイムで図面を書く仕事をして残業もして 家事育児をひとりでやって、おまけに父母会の会長までやって。 本当に忙しい日々だった。 ただただ生

家族をスピリチュアル視点で考えてみた結果

将来 双子の女の子を産んだら ♡♡♡ちゃん と ☆☆☆ちゃん って名前をつけよう。 まだ結婚願望もない若かりし頃、なぜか私の心の中には双子の女の子がいました。 あれから数十年が経ち、私は1度の離婚と 2度の結婚と 3度の出産を経験しました。 双子の女の子を産む夢は叶わなかったけど、私には主人と3人の娘がいて それなりに幸せな毎日を送っています。 私には前世や生まれる前の記憶は残っていないから、 何の因果で ここにいるのかはわかりません。 どうやって母のお腹に入ったのか

応援してるからね!

今パラリンピックが熱いですね。 主人も私もスポーツ観戦にはあまり興味がなく、 結果だけを聞いて「へぇ〜」って感じでした。 でもパラリンピックとなると事情が違います。 男子車いすバスケは3連勝中で絶好調ですね。 最初の戦いはコロンビアに、2戦目は韓国に そして3戦目となる昨日はカナダに勝ちました。 カナダには自国を3度の金メダルに導いた「車いすバスケの神様」と称される パトリック・アンダーソンがいます。 そんな絶好調なJAPANチームの10番は宮島徹也選手です

母への想ひ

実家にて 久しぶりに会った母のそばで 一緒にチョコを食べながら 私の帰郷を喜ぶ母の顔を見て 「帰ってきてよかった この7年間で 帰って来れたのって何度目だろう」 って思った時に 目が覚めた。 とめどなく 涙が溢れてきた。

思いを馳せる

ちょうど10年前の3.11。 三女を産んでからまだ1ヶ月も経っていない頃。 当時住んでいたのは古い県営住宅で 昼間、みんなは仕事や学校に出かけている間 三女はリビングに敷いた座布団に対角に眠り 私はPCの前に座っていました。 と、いきなり大きな揺れがきて とっさに娘に駆け寄る私。 それからはテレビ画面の隅に映る日本地図の 海岸線に沿って大きく点滅しているようすに ことの重大性を理解するのでした。 3月11日。朝目が覚めて早朝の凛とした空気の中 思い出す

父との晩酌の思い出

昔長距離トラッカーをしていた父。昭和の頑固親父というほどではないけれど、仕事柄家にいないことも多く、子どもの頃は遊んでもらった記憶などありませんでした。時代背景がそうであるように、やはり父も例に漏れず亭主関白というか男尊女卑というか、そういった価値観は少なからずあったように思います。家事や子育てはすべて母や祖母に任せて、自分は仕事に行ったり田んぼの世話をしたり。昔は今と違って男女それぞれの役割は違うものと考えられていましたから、仕方のないことだったのかもしれません。 そんな

次女とケンカした話

「ももりゅうさんの子供になりたい!」 noteを始めてから、ずいぶんいろんな人に言われてきた言葉です。それ以前から、リアルでも時々言われていました。そう言ってくれるのは、大体が子供だっだりします。理由は何となくわかっているつもりです。私が「ゆるゆる」なお母さんだからです。私の娘である次女は、いちばんそれを感じているみたいで「私の両親が、このお父さんとお母さんで良かった」と時々話してくれるのですが、理由はいつも同じ。ほかの友達の家では「何かしたい」(例えば授業を休みたいとか、

クッキー型の思い出

「ママ!クッキーの型ってある?」 今週頭に期末テストを終えたばかりの次女に聞かれました。娘は普段お手伝いとかしないけど、手先が器用でセンスもあって時々お菓子作りをしては名作を生み出します。 私のいちばん人気の記事で「次女作。」というのがあるのだけれど、そこで紹介したクッキーや、最近作ったクマのマフィンは見る人を幸せな気持ちにしてくれます。 日曜日が休みだからクッキーを作りたいと言う娘。そう言えば、私も先日クッキーを焼いていて、その時に使ったクッキー型は某会社から初めてい

🎄子供の頃にもらったクリスマスプレゼント🎁

私が幼少期を過ごした昭和の時代、今みたいに好きなおもちゃをもらえるようなクリスマスではありませんでした。いや、おもちゃをプレゼントされる家庭はたくさんあったと思うのですが、少なくともうちはそうではありませんでした。でもそんな中でも朝目が覚めると枕元にプレゼントが置いてあることが何度かありました。今日は、その思い出を振り返ってみたいと思います。 私には3歳上の姉がいて、いつも2人ペアみたいな感じで育てられていました。 一番古い記憶はまだ小学校にも行ってなかった頃、寝室は父母と

髪の毛の話

髪があるとかないとか。そんなデリケートな話を書いてもいいでしょうか。何の結論も解決もない話だけど、つらつらと書いていきます。 生まれた時から一緒に住んでいた祖父は「青い目」の人でした。いつも和服姿でお茶ばかり飲んでいました。でも30代続く私の実家で外国人の血が入ったなんて話は聞いたことがなく、若い頃の祖父の姿は見たことがないけれど、たぶんアルビノに近い感じだったのかなと予想しています。そんな祖父の頭はきれいに禿げ上がり横には白い髪が残る、そんな祖父でした。 父もまた、きれ

私が今まで住んだ家の話

保育園の年長組だった長女を連れて実家を出たのは今から18年前でした。当時彼氏だった今の主人と一緒に住むためです。 「今度こそ幸せになってね!」 見送ってくれたのは、母と姉でした。 E町のアパート3人で最初に住んだのは民間のアパートでした。すぐ横を線路が通って裏側は田んぼが広がる長閑なところ。それでも実家がある場所より全然街中で、徒歩圏内にスーパーもあって住みやすいところでした。 3DKで家賃は6万円ぐらいだったと思います。長女の子供部屋に6畳の和室。主人と私の寝室に6

三女の旦那候補の話

機械に弱い私ですが、今日はゲームの話を書きたいと思います。 我が家には三女(小学校4年生)がいます。三女は間違いなく主人と私の子供なのですが、生まれつき顔やスタイルがとても良く、また性格も穏やかでやさしいので男の子から人気があります。 そんな三女には両思いの相手H君がいます。H君とは3年生の時に同じクラスだったのですが、教室では担任の先生も公認の仲でした。 ところで我が家は主人がパソコンやゲーム大好きの、言わばオタクのような人間です。故に我が家の子供たちは小さい頃からゲ

お義母さんの話

これまでに「家族の話」と称して「お父さんの話」「お母さんの話」「お義父さんの話」を書いてきました。他の家族たちの記事も書いていくなか義母についてだけは、なかなか書こうとは思えませんでした。私は特に義母が嫌いだったわけじゃないし虐められた記憶もありません。ですがお互い違う価値観の中で育った所詮「嫁と姑」。不具合が出てきて当然なのです。私の中で義母に対して「?」と思うことがいくつもあったし、それは相手も同じことだと思うのです。だから「嫌いじゃない」と言っても記事の中身が毒で埋め尽

次女からの手紙

昨日は、次女の卒園式についての記事を書きました。 そんな次女も今はJKになってすっかりお姉さんです。 昨日の朝、記事を書くために書類などを引っ張り出して見ていたのですが、なんと次女からもらった手紙を発見!それも3通。今日はそれを、みんなで見てみようという企画になります。 まず最初は今から2年前の私の誕生日に書いてくれたもの。原文ママになります。卍とか書いてるところが時代を感じさせます。 「おかーたむへ」 ✨happybirthday✨ いつもはなかなか言わんけど、 本