失われた感覚

最近、呑みに出ることが少なくなった。昔は会社帰りに2,3杯をひっかけに近隣のバーを探しては門を叩いてきた。社会に出てから大多数の時間を「飛び込み営業」に費やしてきた甲斐があって、事前情報の無い店でもすんなりと入店できる。もちろん財布事情も以前と違って若干の余裕があり、多少の価格設定だったとしても対応できる自信がついたのもある。

とある町にバーで食事ができるお店があった。昭和風情の佇まいで、今の奥さんと結婚する前に一度利用した。庶民的な雰囲気に騙され色々頼んだところ、会計が3万を超えてしまい冷や汗をかいたことがあった。自分の中で財布の中にある安心できる金額って、年齢の1000倍という感覚がある。30歳なら30×1,000で30,000円、35歳なら35,000円という塩梅だ。この感覚には割と自信があったが、キャッシュレス化に伴い、安心できる金額というものを持ち歩くこともなくなった。

考えてみればほとんどがカード決済だ。財布に幾らあるとか、ATMで下さなければとか、考えなくて済むようになった。手数料もバカにならないし、皆、自身の人件費を全く考えていない。ATMに歩いて行き手数料を払うのも実は労力がかかっている。一番ムッとするのが幾ら以上でないとカードが使えない場合。カード会社に連絡してしまおうかと思ってしまうが、そのカード決済の手数料も中々高いらしい。それを思うと小料理屋や個人商店での小口はなるべく現金で払うようにしている。

確かにクレジットカードの使えないバーは緊張感がある。例の年齢に×1000ではないが、1杯1,000円を超える飲み物を嗜む場なら、財布の現金を気にせず注文をしたい。私の場合、大体スコッチからショートカクテルに移行し、尚且つ葉巻に火をつけたいので、一席6,000円~8,000円という具合。葉巻も精々パルタガスかロミオYジュリエッタのショートを1本という具合だ。着火はできるだけターボライターを使いたいが、洒落た店だとマッチが多い。できれば均一な着火及びカッターではなくパンチが好きだ。

葉巻を吸っている人で一番野暮なのは、葉巻を安煙草のようにトントンと灰皿に打ち付ける人だ。街によっては結構な割合で見かける。トントンがなぜダメなのかイマイチよくわからないが、個人的には安煙草を連想させるからダメだと言いたい。まるで緊張感がない。お金さえ払えばなにやっても良いのような象徴に見えてならない。東京にこの緊張感を漂わせている店は少なくなった。むしろ緊張感を探しに出かけているという具合だ。

なんの話をしているのかさっぱり分からなくなったが、続きはまた書こう。

イエイ(/・ω・)/

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