*「若者たちの死因第1位が〈自殺〉などという国が、先進国の中で日本以外のどこにあるのか?」
… 安倍閣僚の一人は「最後は金目」と言ってのけ、経済負担になる高齢者を「さっさと死ねるようにしなければならない」とさえ断言した。
自民党政権は、バカの一つ覚えのように「経済中心」「最後は金目」というメッセージを国民に送り、テレビのニュースでは「それは〈市場〉が許さない」などの頻繁に言われる。
◆〈市場〉様はそんなに偉いのか?
〈市場〉とは、人間社会の一分野、控えめに言えば、人間社会の一つの見方でしかなかった。それなのに、安倍/菅政権は、この〈市場〉といしうモデルを社会の多くの諸関係に拡大して応用し、そのイメージに基づいて日本社会を変えようとしている。
こうした傾向は、中曽根から始まり「小泉・竹中改革」、アベノミクスを経高まり、今日自明の前提と考えられている。
◆「最後は金目」の〈満場一致〉は正しいのか?
こんな発想では、先の大阪の〝都構想〟選挙のように、自治や参加などの価値から切り離され、政策果実の合理的計算に基づく商取引きと変わりなくなる。
そして、恋愛は源泉徴収票の交換にとってかわり、教育は将来の見返りを計算した先行投資となる。
こんな発想からは、生きる喜びも生の充実も生まれず、人生は労苦の連続であり、「生まれてこなかったこと」が最大の幸せとなる。
また「最後は金目」なら、カネ儲けのためならどんな悪事を働いても良く、悪事がバレたらごまかせばいいとしいうことになり、モラルハザードは際限なく進み、文化も教養もせいぜい懇親会で気の利いた会話をするための知的アクセサリーの一つになる。
そして、相模原の施設では、「障がい者は経済成長に役立たない」という理由で大量殺害事件が起こった。
こんな殺伐たる社会に生きていて楽しいか?
楽しくないだろう。
だからこそ、子供も若者もこの荒廃した社会から逃れるために、次々と自殺して行くのである。
誰もが「最後は金目」という。
しかし、その〈満場一致〉を疑うことからしか「考える」ことは始まらないし、われわれは充実した人生を享受することはできないのである。
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