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*【#宗教】「世俗の学問は〝神学の婢〟ではなくそれ自体が聖書を理解し信仰を深めることに役立つ」

... 例えば、現代人でいるわれわれにとってユダヤ人やムスリムが豚を食べない食物タブーは不可解だ。

デニス・プレガーの『現代人のためのユダヤ教入門』(ミルトス、1992)では、ユダヤ教の食事規定コーシェルに関して、「ユダヤ教は、ユダヤ人にモラルある民であり、聖なる民であることを命じている。

人類は神の似姿として創造されたが、また動物でもある。ユダヤ教は、人間の動物的行為を否定したり侮辱したりする代わりに、律法を通してこれらを聖化する。動物的活動の中でも もっとも頻度の高い、食べる行為の品位を高めるために、数多くのミツバ(おきて)を規定している」などとされているが、これでは理由は何もわからないと言っているのに等しい、いい加減な説明である。またこの食物禁忌は、一般に考えられているような迷信的教条ではないし、「豚は反すうせず、腐敗した肉も食べる。豚が汚れた動物とされる理由の一つ」(新共同訳『聖書』スタディ版、117頁)という生物学的な説明にも説得力がない。

◆ 食物禁忌は近親相姦のタブーの比喩

宗教史家のジャン・ソレルは、「聖書のなかの食物の意味論」(Jean Soler, “Sémiotique de la nourriture dans la Bible”in Annales, juillet-août 1973, pp.943-955)というめざましい論文のなかで、レビ記における食物禁忌が、浄・不浄の分離と混淆排除という論理的規則にもとづいた分類を儀礼化したものであることを明らかにしている。

レビ記や申命記また出エジプト記などに示されている食物禁忌は、性的タブーとともに記述されており、食物禁忌と性的なタブーは不可分の関係にある。

食物禁忌が述べられているレビ記11章で、陸海空の動物がいかなる定義を受けているかといえば、まず陸上動物は「ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反すうするもの」(11:3)とされ、海中動物は「水中の魚類のうち、ひれ、うろこのあるもの」(11:9)と定義され、さらに空飛ぶ鳥に関しては「羽があり四本足で動き、群を成す」(11:20)は食べてもよいとされている。

つまり、このタブーとは陸海空のどれか一つに結びついており、これらの三要素を混同したり、混淆したりする食物が不浄とされているのである。日本人が好きな寿司ネタのタコやイカがなぜユダヤ教の食物禁忌の対象になるかといえば、これらは先の定義に照らすと、水中に棲むという点では「魚類である」が、ひれ、うろこがないという点では「魚類ではない」曖昧な中間物だからである。

つまり、「魚であり」かつ「魚でない」という本来分離されるべきコードの膠着状態に関する禁忌は、この食物禁忌が示す根本的な混淆が近親相姦であることが暗示している。

そしてそのことは、申命記14章21節の「あなたの神、主の聖なる民である。あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない」という「子」と「母」の峻別に端的にあらわれている。

ユダヤ教における食物禁忌は、性的禁忌、わけても家族や共同体を崩壊させかねない近親相姦のタブーと不可分の関係にあり、それは迷信どころか、古代ユダヤ人の実践的な知恵なのである。

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