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*「オランプ・ド・グージュ『女権宣言』-- 最初のフェミニスト」

… フランスで女性が参政権を得たのは戦後に過ぎない。

フランスというと非常に政治意識の高い国というイメージがあるが、女性が参政権を得たのは、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線が終わった後に過ぎない。

◆ 大革命でバスチーユ牢獄襲撃に参加した女性たち

世界史の教科書のフランス革命の個所を見ると、フランス革命ののろしとなったバスチーユ監獄の襲撃に多くの女性たちが参加している絵が載せてある。

しかし、この女性たちは革命の時に利用された後、政治的権利を剥奪されたのである。『ベルサイユのばら』には、ロベスピエールやサン= ジュストなどの革命家たちが颯爽と登場する。この革命家たちは、当時としては世界最先端の政治意識を持った人々だった。しかし、これらの革命家でさえ、女性が政治に参加して議会で発言するなど思いもよらぬことだった。

◆「女性たちよ、めざめよ」という叫び


革命の際に危険な任務に散々利用された揚げ句、政治的権利を剥奪された女性たちの中にこうした隷属状態に憤慨し、『女権宣言』を出した女性がいた。

それがオランプ・ド・グージュ(Olympe de Gouges, 1748−1793)という女性だ。

◆ 『女権宣言』

前文 母親・娘・姉妹たち、国民の女性代表者たちは、国民議会の構成員に なることを要求する。そして、女性の諸権利に対する無知、忘却または軽視が、公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮して、女性の譲りわたすこ とのできない神聖な自然的権利を、厳粛な宣言において提示することを決意した。この宣言が、社会体のすべての構成員に絶えず示され、かれらの権利と義務を 不断に想起させるように。女性の権力と男性の権力の行為が、すべての政治制度の目的とつねに比較されうることで一層尊重されるように。女性市民の要求が、 以後、簡潔で争いの余地のない原理に基づくことによって、つねに憲法と良俗の維持と万人の幸福に向かうように。こうして、母性の苦痛のなかにある、美しさ と勇気とに優れた女性が、最高存在の前に、かつ、その庇護のもとに、以下のような女性および女性市民の諸権利を承認し、宣言する。

第1条 女性は、自由なものとして生まれ、かつ、権利において男性と平等なものとして生存する。社会的差別は、共同の利益にもとづくのでなければ、設けられない。

第2条 すべての政治的結合の目的は、女性および男性の、時効によって消滅することのない自然的な諸権利の保全である。これらの諸権利とは、自由、所有、安全そしてとりわけ圧制への抵抗である。

第3条 すべての主権の淵源は、本質的に国民にあり、国民とは、女性と男性との結合にほかならない。いかなる団体も、いかなる個人も、国民から明示的に発しない権威を行使することはできない。

第4条 自由と正義とは、他人に属するすべてのものを返還することにある。したがって、女性の自然的諸権利の行使は、男性が女性に対して加える絶えざる暴虐以外の限界をもたない。これらの限界は、自然と理性の法によって修正されなければならない。

第5条 自然の理性と法は、社会に有害なすべての行為を禁止する。この賢明かつ崇高な法によって禁止されていないすべてのことは、妨げられず、また、何人も、それらが命じてないことを行うように強制されない。


第6条 法律は、一般意思の表明でなければならない。すべての女性市民と男性市民は、みずから、またその代表者によって、その形成に参加する権利をもつ。法律 は、 すべての者に対して同一でなければならない。すべての女性市民および男性市民は、法律の前に平等であるから、その能力にしたがって、かつ、その徳行と才能 以外の差別なしに、等しく、すべての位階、地位および公職に就くことができる。

第7条 いかなる女性も(以下のことについて)例外はない。女性は、法律によって定められた場合に、訴追され、逮捕され、拘禁される。女性は、男性と同様に、この厳格な法律に服従する。

第8条 法律は、厳格かつ明白に必要な刑罰でなければ定められない。何人も、犯罪に先立って設定され、公布され、かつ、女性に対して適法に適用された法律によらなければ、処罰されない。

第9条 いかなる女性も、有罪を宣告された場合は、法律によって厳正な措置がとられる。

第10条 何人も、たとえそれが根源的なもので あっても、自分の意見について不安をもたらされることがあってはならない。女性は、処刑台にのぼる権利がある。同時に女性は、その意見の表明が法律によっ て定められた公の秩序を乱さない限りにおいて、演壇にのぼる権利を持たなければならない。

第11条 思想および意見の自由な伝達は、女性の 最も貴重な権利の1つである。それは、この自由が、子供と父親の嫡出関係を確保するからである。したがって、すべての女性市民は、法律によって定められた 場合にその自由の濫用について責任を負うほかは、野蛮な偏見が真実を偽らせることのないように、自由に、自分が貴方の子の母親であるということができる。

第12条 女性および女性市民の権利の保障は、重大な利益を必要とする。この保障は、すべての者の利益のために設けられるのであり、それが委託される女性たちの特定の利益のためではない。

第13条 公の武力の維持および行政の支出のための、女性と男性の租税の負担は平等である。女性は、すべての賦役とすべての義務に貢献する。したがって、女性 は、(男性と)同等に、地位・雇用・負担・位階・産業に参加しなければならない。

第14条 女性市民および男性市民は、みずから、 またはその代表者によって、公の租税の必要性を確認する権利をもつ。女性市民は、財産のみならず、公の行政にお


いて(男性と)平等な分配が承認されること によってのみ、その租税に同意し、かつ、その数額、基礎、取立て、および期間を決定することができる。

第15条 租税の負担について男性大衆と同盟した女性大衆は、すべての官吏に対して、その行政について報告を求める権利をもつ。

第16条 権利の保障が確保されず、権利の分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない。国民を構成する諸個人の多数が、憲法の制定に協力しなかった場合は、その憲法は無効である。

第17条 財産は、結婚していると否にかかわら ず、両性に属する。財産(権)は、そのいずれにとっても、不可侵かつ神聖な権利である。何人も、適法に確認された公の必要が明白にそれを要求する場合で、 かつ、正当かつ事前の補償の条件のもとでなければ、真の自然の資産としてのその権利を奪われない。

◆ 女性参政権獲得までの苦難

しかし、オランプの先覚的なフェミニズムは、革命派の男性たちの理解を得ず、女権伸張論を快く思わない革命派は彼女の行動を取り上げて嘲笑を浴びせ、1793 年 7
月 20 日、オランプはロベスピエールらを批判するポスターを貼る準備の最中に反革命の嫌疑で逮捕され、断頭台の露と消えたのである。

フランスでも、日本でも、やっと 20 世紀の中頃になってやっと獲得された女性参政権。

何百年にもわたる女性への蔑視と偏見のなかで、殴られ蹴られ、時に命さえ奪われてやっと獲得された女性参政権獲得までの歴史を知れば、この参政権を行使しないことがどれだけ間違ったことかわかるだろう。

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