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*【歴史】「赤城宗徳 -- 岸信介首相の自衛隊出動命令を拒否した気骨の防衛庁長官」

… 1960年代の日本、樺美智子さんの虐殺に激昂した学生たちの怒りが頂点に達していた。

当時の総理大臣であった岸信介首相は、大野伴睦や児玉誉士夫らと図って、全国の暴力団・ヤクザ・テキ屋などを集め学生運動を潰そうとしていた。

しかし、学生たちの運動の勢いはとまらず、一般の市民や労働者まで巻き込み、いよいよ激しいものになって来た。

身の危険を感じた岸首相は、前年から市ヶ谷駐屯地に1個大隊、練馬駐屯地など首都圏で2万人の自衛隊員の出動を赤城宗徳防衛庁長官に要請した。

◆「同胞に銃口を向けることはできません …」

しかし、赤城長官(画像の左)は、「自衛隊は日本を守るためにあるのであって、同胞に銃口を向けることはできません。同胞に銃を向けたら自衛隊は国民から二度と信頼されなくなります」と、これを敢然拒否し、「日本の天安門事件」は回避された。

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