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*「ある昭和史 --『父の子』である私」(39)

… ジョゼフ・ド・メーストルなどの反動思想の関心から始まり、バレスやシャルル・モーラスらの「アクシヨン・フランセーズ」周辺のドリュ・ラ・ロシェルやブラジヤックを経て、私の奇妙な旅は、最後にベルナノスとモーリス・ブランショにたどり着いた。

「われわれは右翼ではなかった。われわれが創設した社会研究サークルは〈セルクル・プルードン〉と称し、この守護者の名を誇示して物議を醸した」(『月下の大墓地』)というベルナノスの言葉より、若き日の私の心情を代弁するするものはない。

右翼でも保守派でもなく、私は反資本主義のラディカリズムに日本社会の可能性を探っていた。

高校生から大学生になる頃私が抱いていたのは、左翼やリベラルとは違い、「知性にも教養にも欠けないのに、どうして非合理で道理に合わない反動思想やファシズムに魅了される作家や知識人がいるのか?」という素朴な問いだった。

それはやがて自分の生活と思想をも巻き込み、「悪とは何か?」という学究的であると共に信仰的な問いに変わって行った。

ベルナノスの研究史を整理していたとき、同じくレオン・ドーデという文壇の名伯楽が世に送り出したプルーストやルイ=フェルディナン・セリーヌなどの研究の積み重ねに比べ、恐ろしく程度の低いことに呆れ果てた。

日本でもフランスでも同じだが、遠藤周作からフランソワ・モーリヤックまで、ひとたび「カトリック作家」というカテゴライズされると、いなごの大群のように襲ってくる無知で不勉強な信心凝りにはつくづくウンザリした。

それは、ちょうど教会の売店で信心用具を買ってありがたがっている盲信者たちとかわりなかった。

私はアウグスティヌスやアンセルムス以来の「知的理解を求める信仰」(fides quaerens intellectum)を至って真剣に考えていた。

兵営にいたデカルトの旅に関する講義を終えた田中仁彦先生による、「学問的な探求と信仰は深いところで必ず一致する」という言葉も、私の励ましだった。

たとえ霊的冒険を言い立てようが、宗教学の蘊蓄を傾けようが、山あり谷ありの筋立てを想定し字面を断続的に追って行く粗雑な読みによってわれわれが入手できるものは、なるほど感動的ではあるが、当世風の装いをほどこした〈聖人伝〉に過ぎない。

田中先生はまた、「研究の現状を把握するのは当然だが、研究にとって大切なことは、それらを先入観とせず精査し、テクストの上に堆積する土砂を除去し、一文一文を自分の目で読んで行くことだ」とおっしゃった。

米国の仏文学者のジェフリー・メールマンが指摘するように、「テクストの読みは、何よりも他のテクストを〈読む〉能力によって、それがなければ抑え込まれたままになっていたエネルギーを解放する能力によって評価されるべき」なのである。

◆『悪魔の陽の下に』の悪魔学

さて、モーリス・ピアラ監督によって映画化されわが国でも大きな評判を得た作品に、ベルナノスの『悪魔の陽の下に』(一九二六)がある。

聖人のジャン=バティスト・ヴィアンネーを彷彿とされる主人公のドニサン神父は、説教を手伝うために隣村に急ぐ道すがら、件の馬喰との対決の場面が繰り返し描かれるが、そのときこの対決の場面には、影・鏡像・分身といった二重化現象が枚挙される。

そして、悪夢のようなあの夜、ドニサンが「退け、サタン!」と叫ぶとき、「おのれの分身、完璧で精妙な似姿」「奇跡的二重写し」「おのれの分身」「彼自身の肉体をまとった敵ともいうべき幻影」が神父の周囲に殺到する。

そして、悪夢のような幻視は、少女ムーシェットの夢にも劇的な形であらわれる。

「この夢は、攻撃のために集結する軍隊のように彼女に向かって押し寄せてくるのだった。血縁の者たちがたがいに重なりあい、悪徳自体の顔にほかならぬ一つの顔となった。彼女は血縁の者たちの内におのれの姿を認め、錯乱の極みにおいては、もはや彼らの群からおのれを区別すことはできなかった。なんということだ!彼女の生涯のただひとつの行為といえどもその分身をもたぬものはないというのか?似ているものはなかったにもかかわらず、それらはすべて同一だった」

この一節は、イエスの「おまえの名前はなにか?」という問いに、男が「私の名前はレギオン。私たちはたくさんですから」と答えた、マルコ福音書のゲラサの悪魔憑きの個所を想起せざるを得ない。

『悪魔の陽の下に』は、悪魔の眷属の多さを指摘する一方で、その幻覚的側面にまどわされることなく、分身としての本質に着目する。

そして、「いやまさる錯乱のなかで」分身たちは、「たがいに重なり合い」奇怪な幻覚的異形を生み出す。

作中に登場する馬喰に化けた悪魔は、聖書のなかの悪霊と同様に、しっぽの生えた怪物などではまったくないのである。

◆ 世界を読む「聖書」

この小説を読んだ親友のロベール・ヴァレリー=ラドは、『悪魔の陽の下に』を読み、その混乱した記述に驚き、「奇妙な手強い獣」を馴致する必要を説き、「休息のために、君の悪魔に名前と顔を与えたまえ。不自然な増殖を望んではならない」と返信した。

混乱と増殖に「名前を与える」という助言は、極めて示唆に富んでいる。

よく知られているように、聖書でイエスの有罪を確信できない総督ピラトが、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」としたのに対して、「民はこぞって答えた。『その血の責任は、我々と子孫にある』と答えた、マタイは描く。そしてマルコは、応答した民を「群衆」と述べ、マタイにもルカにもほぼ同じような記述が見られる。

そして、三つのいわゆる共観福音書がイエスを十字架につけろと叫ぶ人々を「群衆」としているのに対して、ヨハネは、この「群衆」を「ユダヤ人」と書き換え、イエスの殺害を促す群衆をこう描いた、「ユダヤ人たちは答えた。『わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです』」(一九章七節)。

イエスの死の責任を負うべき「群衆」が福音記者ヨハネによって「ユダヤ人」と書き換えられて新たな輪郭を与えられた意味は重大である。

もちろん、イエスもその家族も、使徒たちも、またルカを除けば福音記者自体もユダヤ人なのだから、福音書における「ユダヤ人」とはユダヤ人一般を指しておらず、もちろん民族主義的な含意もない。 

最初の三つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ)には共通する記述が多く、一八世紀のドイツの聖書学者グリースバッハらによる聖書研究の結果、テクストを相互に比較し一覧表にした「共観表」(シノプシス)が作られたことから「共観福音書」などと呼ばれる。

マルコがもっとも古く後続の二つの福音書は、いわばその書き換えなので、内容が似ている。福音書のなかで、ヨハネがもっとも後に書かれたものであり、初期のキリスト教集団がユダヤ教との厳しい対立をした時期に書かれているので、古拙をとどめる共観福音書とは異なり護教論的色彩が強い。またその内容も難解で、最初の神学書の趣があるので、神学者のなかでもヨハネを研究する者に限って「ヨハネ学者」という言い回しがある。

そのヨハネ学者の一人であるマーティン・ルイスは、ヨハネ福音書における「ユダヤ人」の特異な含意に関連して、会堂から追放された初期キリスト教徒たちの追い詰められた状況に注目する。神殿を失ったユダヤ人たちは、パリサイ派の指導のもとに統合を図ろうとし、その際に妨げになるナザレ派異端(キリスト者共同体)を正式に破門した。

一八九六年に発見された会堂における祈願文には、「ナザレ人たち(キリスト教徒たち)とミーニーム(異端者たち)は瞬時に滅ぼされますように」という呪い文言が含まれ 、ユダヤ人キリスト者たちはもはやユダヤ教ナザレ派としては存続できず、新しい信仰集団を立ち上げなければならないような切迫した事態に追い込まれていたのである。ヨハネによる福音書のなかの「ユダヤ人」という言葉に否定的な含意があるのは、こうした歴史的背景を考えないとわからない。

しかし、後代の反ユダヤ主義たちがその根拠を聖書に求める場合、ヨハネ福音書の「ユダヤ人」がユダヤ人一般として頻繁に引用されるようになってしまった。そして、イエスの死をめぐり誰に責任があるかという聖書が提起した問題は、今日まで持ち越されて物議を醸すことがある。

◆「名づける」とは何か?

十年ごとにイエスの最期を扱う受難劇が行われてきた、アルプス山麓にあるドイツ・バイエルン州の小さな村、オーバーアマウガウの例を挙げてみよう。

これは、ペストが猛威を振るった一七世紀に村人が十年おきにイエスの受難劇を上演することを誓い疫病を沈静化させたという伝説にもとづくもので、村民全員が参加して上演に六時間もかかる、世界最大規模のキリスト教受難劇である。

二〇〇七年七月二二日、NHKが『アルプス山脈 祈りの大舞台 –– 三五〇年守り続けた村の誓い』と題する特番で、オーバーアマウガウの受難劇を紹介した。この二〇〇年という年に特番が組まれたのは、一九三〇年代にはヒトラーも観劇に訪れてナチスの反ユダヤ主義に利用しようとしたこの受難劇に対して、この年、ユダヤ団体から台詞の再検討の申し入れがあったからである。

これに対して、ミュンヘン大学神学部のルードヴィヒ・メーデル教授らの努力によって、カトリック側とユダヤ人側の解釈の溝が埋まるようになった。

これは、カトリック教会から反ユダヤ主義の残滓を払拭しようとした前ローマ法皇、ヨハネ=パウロ2世の尽力を背景としたものであり、二〇一一年に刊行された『ナザレのイエス』の第2巻において、後にローマ教皇になるベネディク一六世も、イエス・キリストの死に関するヨハネ福音書のなかの「ユダヤ人」という表現が「イスラエルの民一般を指すものではなく、いわんや『人種的』含意などない」と、ユダヤ人全体が責任を負うとの見方を明確に否定し、ユダヤ人団体などが歓迎していることが世界中に伝えられた。

福音記者ヨハネが、イエスをゴルゴタに追いつめた「群衆」、敵意と猜疑心に満ちた群衆を「ユダヤ人」と名付けるとことによって、古代の反ユダヤ主義が起動した。

他方、混乱と増殖に直面したベルナノスは、それを一対一にも似た対決に置き換えることによって文学的創造を成し遂げた。

それでは、そもそもこの「名づける」とは何なのだろう?

「自分で考えろ」という、私が幼い頃から繰り返された亡父の声がいまも耳元に聞こえる。

答えなき問いに満ちた私の奇妙な旅は、まだ終わりそうもない。

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