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*「#現代を読み解く数冊」

... 石郷岡健氏の新刊は、「一次文献を発見しました」式の最近多い素朴な実証史学の一つである。

「イリヤ・アルトマンがソ連最高政治機関がビザ発給を正式に決定していたことを発見した」とあるが、当時のリトアニアは赤軍の占領下にあったのだから、発見しようがしまいが当たり前だ。

アルトマンは、講演で ① 外貨不足のソ連にとって、ユダヤ難民たちがトベリア鉄道の料金を吹っかける格好の相手であったことと、② 難民の中にスパイを仕込もうとしたという二つの仮説を挙げている。

しかし、① すでにシカゴ・マーカンタイル取引所のメラメドが父親から聞いた話としてすでに自伝に書いてあり、目新しいことではなく、② は難民全員をスパイにすることなど不可能なので、スパイの勧誘を受けなかった他のユダヤ難民の救済の理由として説得力がない。

◆ キリスト教に関して知らな過ぎる

最後のユダヤ人救済に関する「背景にある反西洋主義と宗教的信念」云々は、支持できないどころか、完全に間違っている。

まず「ロシア人のクラウディアと結婚し、ロシア正教に入信した杉原千畝」とあるが、クララウディア・アポロノフは、反ユダヤ主義が渦巻いてした白系ロシア人の一員であったことを知らないらしい。

また、石原莞爾や安江仙弘などに関して「八紘一宇」の精神を云々しているが、あまりにもナイーヴ過ぎる。

安江大佐のご子息の弘夫氏とは、亡くなられる年まで、何度も電話や手紙で当時の事情を照会したが、弘夫氏によれば、「あの『八紘一宇のわが国体』という文言は、陸軍中央を説得するための方便です。そうでも言わないと説得出来ないでしょう」とのこと。

同書には、安江大佐の親ユダヤ的傾向に関して重要な、中田重治師のホーリネス教会について一行の記述もなく、安江と中田には『ユダヤ民族と其動向並此奥義』という共著さえあることを知らないらしい。

◆ なぜソ連当局がビザの発給を認めたのか?

その一つの理由は、メラメドやアルトマンが指摘しているように、外貨不足のソ連がユダヤ難民たちをシベリア鉄道の料金を水増しして搾取するためである。

しかし、もっと根本的な理由がある。

この根本的な問いに著作や論文で暗示し、明確な研究の方向を示したのは、千畝三部作(『決断 命のビザ』『真相 命のビザ』『杉原千畝の悲劇』)の著者である渡辺勝正氏である。

この問題に大変興味を持った私は、直接渡辺氏に問い合わせた。

★ 渡辺「いまノモンハン事件について改めて調べている」

☆ 松浦「どうしてですか?」

★ 渡辺「わからないか?ノモンハン事件が『なぜビザを発給したか?』を説くカギなんだよ」

★ 渡辺「1939年に独ソ不可侵条約を結んだだろう。しかし、スターリンはヒトラーを信用していなかった。いつ侵略して来るかわからない。千畝の電信にも『フランスから徴発した車輌が東プロイセンに向けて続々到着』『ソ連は長期戦に備えて穀物備蓄を始めた』という両国の緊張関係を伝える電信が次々と外務省に送られてくる」

★ 渡辺「スターリンは、ドイツと日本の二正面作戦が始まってはかなわない。だから、1939年9月まで続いたノモンハン事件の事後処理を早急に進め、とにかく東部国境の安全を確保し、主力をいつ戦争が勃発するかわからない西部国境に移す必要があった。これがソ連当局がビザを発給した理由なんだ」

★ 渡辺「『杉原千畝の悲劇』で書いたが、スターリンは千畝の東京宛ての電信をすべて解読しロシア語に翻訳していた。それを見た参謀本部が北進に考えを変えたらソ連邦は破滅する。だから、日本とそれ以上軋轢を長引かせたくなかったんだ」

私は渡辺氏が歴史を俯瞰する構想力に舌を巻いた。

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