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*【#命のヴィザ言説の虚構 !?】「『ソ連ではなくナチスからの迫害という言説を流布したのは杉原本人であった』と説くどうしようもない書評』」

… 9月12日付の読売新聞の書評より。

杉原千畝が言及しているのは、カウナスの日本大使館に殺到したユダヤ難民が「ナチスからの迫害」から逃れリトアニアに来たものと言っているだけで、この点は誰も否定ではない。

まもなく、ソ連の赤軍が侵入したのは、千畝自身が外務本省宛の1940年7月8日付の電信の中で指摘し、誰でも知っていることである。

◆ 誰でも知っていること

「當國内共産黨工作ノ急速度ニ進展シタル影ニハ『ゲペウ』ノ假借ナキ且電撃的『テロ』工作行ハレタル次第ニシテ『ゲペウ』ハ先ツ赤軍進駐ト共ニ波蘭人白系露人當國人及猶太人ノ政治團体本部ヲ襲ヒ團員名簿ヲ取上ケタル上選挙三日前ヨリ團員ノ一斉検挙ヲ開始右ハ今ニ至ルモ繼續セラレ居ル処今日迄ニ逮捕セラレタル者『ウィルノ』千五百當地其ノ他ノ諸地ニ二千アリ大部分ハ旧波蘭軍人官吏白系露人将校當國旧政権与党タリシ國民党乃至社會黨幹部『ブント』派及『シオニスト』猶太人等ニシテ前首相『メルキス』及『ウルプシス』外相モ夫々家族ト共ニ莫斯科ニ送ラレタリ」

捉まれば即死のナチスと「ソ連の脅威」は、質的に異なるのである。

この「ソ連脅威説」は、最初白石仁章が『諜報の天才 杉原千畝』で唱えたもので、白石も当初は「広義にはナチスの、狭義にはソ連の脅威から」救ったと言っており、これには誰も反対できないだろう。

しかし、その後、稲葉千晴(名城大学)、シモナス・ストレルツォーバス(リトアニア)、田中洋之(毎日新聞)などによって、「ソ連脅威説」があたかも世紀の発見であるかのように物々しく喧伝されることになった。

「水晶の夜」事件からリッペントロップ=モロトフ協定を経て、独ソ戦に到る現代史の時々において、ヒトラーとスターリンのあぎとにとらわれた東欧や北欧の人々が右往左往したのだが、ユダヤ人に対する脅威はそれは時系列でも異なるし、「連邦分裂に繋がるシオニストやブンドなど非ボルシェヴィキ的左翼」とそれ以外のユダヤ人に間にも違いがあり、また元々リトアニアに住んでいたユダヤ人とユダヤ難民、またユダヤ難民全体と日本大使館の扉を叩いたユダヤ人にも偏差があり、これら〈内的差異〉を無視した二項対立など、ただ扱い知的訓練に乏しい読者にも「分かりやすい」議論というに過ぎない。

◆「歴史をどう語るか」という問いを欠く研究

もちろん、先の電信にあるように、「國民党乃至社會黨幹部『ブント』派及『シオニスト』猶太人等」への脅威を実見しており、「ソ連の脅威」を考えなかったわけではないが、同時にナチスほどでないにしてもリトアニアで迫害されていたユダヤ人、特に若いユダヤ人たちはソ連の赤軍の進駐を歓迎しており、そもそもソ連がそんなに危険であるならば、どうして杉原ビザを持ってシベリア鉄道で東漸できただろうか?

家族がソ連当局と対立する「ブンド」に属した、メラメドの一家は杉原ビザでシベリア鉄道に乗り、モスクワではのんびり物見遊山さえしているのである。

杉原千畝や幸子夫人、また難民のリーダーだったヴァルハフティクなどなどがその回想において「ナチスの脅威」にアクセントを置いていたということと、「ソ連の脅威」を実証する「一次資料の明白な乖離」を菅野は言い立てるが、それは自分が設定した実証史学の枠組みのなかでそうだというだけで、証言者が当時、また事後に「ナチスの脅威」をより大きく考えていたということと、残された資料からは「ソ連の脅威」が大ということは位相が異なり、菅野はそもそも〈比較し得ないもの〉を比較しているのである。

われわれは、構成主義から「物語論的転換」などナラトロジーに関する反省を経た21世紀に生きているのに、「歴史をどう語るか」という問いがまったくなく、「一次資料にありました」式の事実性の指摘にとどまる、著者と評者両方の方法論的素朴さに驚かざるを得ない。

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