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*【#宗教】「一神教と多神教の違いとは何か?

… 多神教の〈神話〉は古代の王権を支える政治装置である。

① その神々は、自然力の比喩(例えば、太陽神であるアポロンや天照大神等)。

② あるいは、人間的諸力の外化(例えば、走力を喩えるアキレスや韋駄天等)である。

③ アポロンがローマ皇帝の先祖で天照大神が皇祖と考えられていたように、人間の力では太刀打ちできないような自然力によって王権を権威づけ民衆を従わせる。

④ もう一つの人間的諸力の外化は、自分の延長線上にあるナルシシズムを慰撫する。

⑤ つまり、#民衆を権威へ服従させ、#同時に民衆に慰めをもたらす という二重の目的をになっている。

⑥ 多神教の神々は、徹頭徹尾 #言語的構築物 で、例えば天照大神が文字通り「世界を照らす」の意で、愛の神アプロディーテーがなぜ貝に乗った女神として描かれるというと、アプロスというギリシア語が「泡」の意があることからの連想。

⑦ 他方、唯一神信仰における絶対神の絶対とは、養老孟司などが誤解しているような「程度がはなはだしい」ということではなく「#対象化できない」、つまり〈偶像〉ではないということ。

⑧〈偶像〉の最大の特徴は「名前を持つ」ということ。

⑨ シナイ山でモーセに告知された「ありてある者」というのは、ハーヤー動詞の一人称単数未完了形で、厳密に言えば神の名ではなく、名前を尋ねるという「人間的無知」(名前があればそれは〈偶像〉で神ではない)に対する妥協の産物。

⑩ フランスの神学者のジャック・マリタンが古代社会においてユダヤ人だけが高度な知的生活を送り、「それに比べれば、われわれは半未開人」と述べたのは、事物や諸制度を構築する〈言葉〉の力と、仮に新約のヨハネ福音書では〈#ロゴス〉と訳されているが、幾十もの意味を持ち、直訳に執心するのを断念せしめ、物、事、物体、言葉、出来事、啓示、命令、等々のうちどれかを選ぶことを余儀なくさせる〈#ダーバール〉について思索をこらしてきたから。

⑪ つまり、ユダヤ人たちは、ラテン語のレス(res)とウェルブム(verbum)との二分法、同じくギリシア語のロゴス(logos)とタ-オンタ(ta onta)との二分法を知らず、〈言葉〉をより深い実在に送り込むギリシア的思惟とは別の考え方を持ち、世界内存在に過ぎない事物、つまり偶像の〈外部〉に思いを致していたということで、それが唯一神信仰ということ。

つまり、一神教とは、多神教の呪術的思考のナルシシズムを断固拒否しているということ。

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