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*【#人生】「他にすべてを投げ捨ててただひたすらそれだけに心が触発される様な何か、そういう何かが存在しないものだろうか?」

... スピノザ『知性改善論』より。

「そう、もしわたしがそれを見つけて獲得したら、その先ずっと、永遠にわたる最高の喜びを味わえるような、そういう何かが存在しないものだろうか。これを一つ探求してやろうと決めたのである」とスピノザは続ける。

テレビから SNS まで、毎日毎日商品の広告で埋め尽くされている。

愚か者たちは「パンとサーカス」に惑わされ、流行に乗り遅れまいと腐心し、権力と地位の椅子取りゲームに振り回され、虚しい生を終える。

「他にすべてを投げ捨ててただひたすらそれだけに心が触発されるような何か、そういう何かが存在しないものだろうか?」というスピノザの問いは、充実したい一生を終えたと願う者の当然の問いなのだ。

人は還暦も超えると、残された人生を思い、それまで自分が歩んで来た道のりを回顧することが多くなる。

◆ ペトラルカからスピノザへ反芻される愛

イタリア・ルネサンスの巨匠に、ダンテと並び賞されるペトラルカがいる。

若きのペトラルカは、多くの野心的な青年たちと同様に、名門大学で学位を取得し、しかるべき地位に就けば幸せになれると思っていた。

そして、ペトラルカは最後に「ローマの桂冠詩人」という最高の地位を獲得した。

道をあるけば人々は詩人を褒めそやし、毎日追従の言葉が耳に入る。

しかし、ペトラルカの心は虚しかった。

地位も財産も名声もすべて手に入れたのに、詩人の心は虚しく、寂しさがこみ上げて来た。

そこで、ペトラルカは、これまでの人生を振り返り、それを『告白』で有名名アウグスティヌスとの架空の対話という形でしためることにした。

それが『わが秘密』という今日まで数世紀の読み継がれて来た古典だ。

詩人の心には幼い頃の自分が浮かんできた。そして、まだ自分がまだ何者でもないのに無償の愛を注いで暮れた父母や村人、日暮れまで遊び戯れた幼なじみの顔が浮かんで来た。

ペトラルカの心は、再び喜びと満足でみたされていった。

都会にでてちょっと学問をかじっただけで自分が高尚になった気持ちになり、かつて自分をあけほど愛してくれた素朴な村人たちを蔑んでいた自分の愚かさを思うと、胸がえぐられるような想いだった。

さまざまな知恵と経験を経たペトラルカは、老境に差し掛かろうというとき、「神は愛である」という聖句の意味を実感することができた。

そう、人生には二つのものしかない … 愛とそれ以外である。

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