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*「高等教育の無償化こそ再び『日本の奇跡』を世界に示すカギである」

… 資源も食料も乏しい小さな島国の日本がなぜ欧米の植民地にならず、世界を驚かせる発展を遂げたのか?

それは、江戸時代から続く、教育の徹底によるものである。

武士は藩校で、庶民は寺子屋で、初歩的な手習いから始まり、四書五経から算術まで必死に学んだ。

◆ 伊勢国飯高郡塚本村の「寿硯堂」

寛政4年(1792年)に伊勢国飯高郡塚本村で開学した寺子屋「寿硯堂」にはたちまち643人もの生徒が集まり、その内165人が女子であった。子守など家の手伝いを任されることが多い女子の就学者数は、決して少ないとは言えない。

山深い僻村の農民の間にさえ、これほどの教育熱があり、農民も町人も、少しでも生活に余裕ができると、子女の教育に惜しみなく家計をつぎ込んだ。

「邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめん」などと明治政府に言われなくとも、われわれの父祖にはわかりきったことだった。

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