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*【愛だけが残る】「クリスマスを前にして -- キリスト教とは何か?」

… 古代の地中海社会にイエスがもたらした最大の遺産は〈愛〉であった。

19世紀ドイツの著名な神学者ゲルハルト・ウールホルン(Gerhard Uhlhorn, 1826-1901)は、古代キリスト教の〈愛〉の歴史を俯瞰する古典的研究において、ギリシア・ローマ時代を「愛のない世界」(eine Welt ohne Liebe)と定義することから、古代教会におけるヘブライ的〈愛〉の来歴を説明している。

ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588-1679)が『市民論』(De Civi, 1642)の献辞において、自然状態におけ生存闘争を「人間は人間に対して狼である」(Homo homini Lupus)という有名な命題であらわしたことはよく知られている。

この表現もとになったのは、ローマ初期の喜劇作家プラウトゥス(Titus Maccius Plautus, BC 254-BC184)による『ロバ物語』(Asinaria, 195)の495行目にある語句である。ギリシア・ローマの古代世界は、社会のなかの「もっとも小さな者」、すなわち女性、子供、弱者、周辺人などに対する普遍的な侮蔑を共有していた。

◆ 窮状にある〈隣人〉を助けることは神の愛への感謝に満ちた応答

「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは愛である」とは、誰でも知っているコリント人への手紙の一節である。

キリスト教が新興宗教の御利益信仰と異なるでは、最も大切なものが〈愛〉として、献金でも、教線の拡大でも、指導者への服従でもないとしていることである。

そして、聖書は〈愛〉の実践について、「善きサマリア人」のエピソードとエレミアの預言において具体的に述べている。

行き倒れの旅人を助けたサマリア人は、ユダヤ人と信仰的に対立しており、イエスのこのエピソードを通して、思想信条や人種や民族の境を超えて窮状にある人に手を差し伸べることこそ愛の実践であると説いている。

見えざる神を愛することは、見える〈隣人〉を愛することであり、窮状にある〈隣人〉にあたたかい手を差し伸べることは、無条件でわれわれを愛した神への感謝に満ちた応答なのである。

◆ 〈隣人〉とは誰のことか?

〈隣人〉とは自分の回りで困っている人すべてであるが、預言者エレミアは、「正義の業を行い、寄留の異邦人、孤児、寡婦を救え」と、外国人、子供と女性という3つのカテゴリーにとりわけ留意すべきだとしている。

この指示は、直接的には、ユダ王国末代の列王に宛てられたものだが、「できればそうせよ」というのではなく、もし違背すれば、自身は破滅し国は滅びるとする、神の絶対的命令である。

外国人、子供と女性という3つのカテゴリーは、例えば戦争や内乱などで共同体が危機に陥ったときに、足手まといとされ、真っ先に見捨てられる弱い存在である。

逆に言えば、外国人、子供と女性は〝炭鉱のカナリア〟であり、その共同体が健全に機能している否かを図るものさしなのである。

外国人、子供と女性が邪険に扱われる社会は、不正な状態に陥った社会であり、やがて人心は荒廃し、亡国を招くとエレミアは預言したが、それを聞き入れなかったユダ王国は滅亡し、ユダヤ人の流浪が始まった。

現代の日本は、預言者エレミアを撲殺した古代のユダ王国に似ていないか?

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