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*「新自由主義的な構造改革 -- 東インド会社時代の粗暴な資本主義 への神経症的回帰」

… 人間は、耐えきれないほど大きな苦痛に直面すると、例えば〝貧乏ゆすり〟など常同運動を起こす。 

つまり、同じ所作を繰り返す。

これは何をやっているかというと、「大きな苦痛」を分割して、摂取できるほどの小さくしているわけである。

◆ 常同運動は、直面した困難をかつて「うまく処理した」ときのやり方と密接に関係

そして、この常同運動が凝固したものが〈儀式〉と呼ばれ、宗教的には〈原理主義〉、政治的には〈教条主義〉と呼ばれる。

つまり、武力に訴えても〝俺様ルール〟を押しつけ搾取することを目的とする新自由主義的な構造改革は、東インド会社時代の勃興期の粗暴な資本主義への神経症的回帰とも言える。

もちろん、かつてアフガニスタンに米国メジャーのカルザイ大統領を押しつけ、その経済を支配しようとした米国のように、こうした試みは多くの場合うまく行かない。

しかし、国内的にはカネ儲けに最適化するように監視体制が強化される。

つまり、対外的には時に軍事衝突を誘発するような軋轢を生み、国内的には衆望監視システムが網の目のように張りめぐらされる。

イスラム〈原理主義〉は、米国の新自由主義的な構造改革を支持するキリスト教〈原理主義〉のカウンターパートであり、中国の習近平による〈文革〉を思わせるバックラッシュもまた、社会学者のジグムント・バウマンが「レトロピア」と呼んだ〝一見進歩に見える退歩〟に過ぎない。

グローバル化にともない、国境を越えてやって来る不吉に見える諸力を前に、世界中が歴史の後ずさりを始めているが、この急激な反動化は、どの国にも良い結果はもたらさない。

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