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*【#思想】「共同生活のなかでしばしば起きるものごとは、どれも虚しく価値のないことばかりだ」

…『知性改善論』の何げない書き出しは、スピノザが破門されアムステルダムのユダヤ人共同体から追放された直後に書かれたことを考えればズシリと重く響く。

例えば、今日世界中から尊敬されている田中正造、杉原千畝や中村哲先生は、生前激しい誹謗中傷にさらされた。

そしてこの三人は、当時の政権に対する極めて手厳しい批判者であった。

つまり彼らは、「空気を読まない」人であり、共同体の中で、つまり仲間内だけで「よし」とされているルールに従わず、だからこそ決して見返りが期待出来ない人々にあたたかい手を差しのべることができたのだ。

彼らがすべてキリスト者であったことは、もちろん偶然ではない。

◆「寄留の異邦人、孤児、寡婦」とは何か?

預言者エレミアは、「正義の業を行い、寄留の異邦人、孤児、寡婦を救え」と命じている。

この「異邦人、孤児、寡婦」というのは、その共同体の中のマイノリティーであり、ほとんどの人が自分と同じ境遇とは見なしていない人々である。

イエスがあたたかい手を差しのべたのも、取税人、娼婦、障がい者、ゲラサの悪魔憑き、「長血の女」と呼ばれる婦人病の患者であり、もっとも称賛しているサマリア人は、ユダヤ人と対立している部族である。

つまりイエスは、自分たちの共同体のルールからはこぼれる人々こそ大切にすべきだと言っているのである。

◆ 共同体のルールを疑え

われわれ日本人にとってもっとも身近な外国人と言えば、在日韓国・朝鮮人だろう。

しかし、関東大震災の際に、「十五円五十銭」と言わせ訛りがあると朝鮮人と見なし虐殺された。

なお驚くべきことに、捜査の下手人の捜査が始まると、犯人たちは「ご褒美をもらえる」と自首してきたことで、裁判中に笑い声さえ聞こえたと当時の新聞は伝えている。

つまり、当時の日本人の多くが植民地統治下にある朝鮮人は日本人の劣位にあるのが当然で、「井戸に毒を入れた」などの流言飛語が蔓延していたのだ。

今日から考えれば実にバカげたデマだが、当時の日本人の多くはそう考え、犠牲になった朝鮮人に同情する者はまれだった。

スピノザの指摘するように、「共同生活のなかでしばしば起きるものごとは、どれも虚しく価値のないことばかり」であり、われわれが知性を改善し真理を探究しようと思えば、まず仲間内の共同体のルールを疑うことから始めなくてはならない。

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