*【#月下の大墓地】「ジョルジュ・ベルナノス – 反ファシズムの闘士」
… 哲学者のシモーヌ・ヴェイユが尊敬したフランスの作家。
日本では映画『田舎司祭の日記』『悪魔の陽の下に』の原作者として知られるフランスの小説家。
ベルナノスは、当初スペイン戦争に共和国側で闘ったシモーヌ・ヴェイユとは対照的に、右翼組織「アクシヨン・フランセーズ」の闘志だった。
しかし、スペイン戦争の最中に地中海のスペイン領のマヨルカ島で、恐ろしい白色テロの場面を見た。
フランコ側に協力しなかったというだけの理由で、マヨルカ島の農民たちは共産主義者扱いされ、トラックで拉致されて、裁判も抜きに銃殺された。
◆「月下の大墓地」
日本でも翻訳されたエッセイ『月下の大墓地』では、この時に農民たちの累々たる死体が月光に照らし出されるファシズム下の恐怖を告発されていた。
フランコ軍が殺害した者の内には、政治のことなど何もわからない子供も含まれていた。
かつて「アクシヨン・フランセーズ」の体現していた右翼革命が、単なる権威への従順、思考の放棄、精神の奴隷化だと悟ったベルナノスは、青年時代の過ちに身をよじって後悔した。
ファシズムに覆われたヨーロッパに嫌気が差して南米に移住すると、第2次世界大戦が勃発し、祖国フランスがナチス・ドイツに占領されると、ド・ゴール将軍のレジスタンス運動に参加し、その理論的指導者の一人となった。
戦後ベルナノスは、ド・ゴール政権の閣僚にと請われたがこれを孤児し、レジオン・ドヌール勲章の叙勲もすべて断り、フランス革命の恐怖政治下を描いた戯曲作品『カルメル会修道女の対話』の完成に努めた。
この作品は、有名な音楽家プーランクの作曲したオペラ作品として、日本でもしばしば上演される。
◆ 子供の殺害を正当化するいかなる思想もない
2003年に米国のブッシュ政権によるイラク攻撃が始まり、「ファルージャの虐殺」という痛ましい事件が起こった。
日本に配信されてきた外信には、ファルージャのサッカー場に寝かせられた幼児の累々たる死体の写真があり、その写真を見たとき、私はベルナノスの『月下の大墓地』の一節を思い出した。
政治や歴史的出来事の正否は、そのとき子供たちがどう扱われたかによって稲妻のように明らかになる。
聖書の内には、無辜嬰児を虐殺したヘロデ王に関する記述がある。目的地も告げられずヨーロッパ中から拉致され強制収容所に送られたユダヤ人の子供たち、ポルポトの犠牲になったカンボジアの子供たち、そしてファルージャのサッカー場に横たわり、もの言わぬ骸になった子供たち。
子供の殺害を正当化するいかなる思想もない。
◆「幼子の精神」こそ世界を刷新する
そして、先のベルナノスは、硬直して体制順応のロボットと化した「老人の精神」に対して、駆け引きを知らぬ闊達な「幼子の精神」こそ、打算とけち臭いエゴイズムで沈滞してゆく社会を刷新するものであるとして、ジャンヌ・ダルクをその典型であるとした。
ベルナノスの夫人は、ジャンヌ・ダルクの長兄の子孫だった。
いまから20年ほど前、私はこの偉大な作家の末子のジャン=ルイをパリの寓居に尋ねたことがある。
手土産に持参したとらやの羊羹の珍しい味に喜び、2時間ほど四方山話をしたあと、「最近父の評伝を書いたから、お前にやろう」とサインをしてくれた。
そこには「わが友、日出る国のサムライに」と書かれていた。
「最後は金目」の現在の日本を見ても、天国のジャン=ルイは、いまでも日本を「サムライの国」と言ってくれるだろうか …
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