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*「北原怜子とゼノ修道士」

*「北原怜子とゼノ修道士」

… ある日、「黒服の異人さん」が怜子の家を訪ねて来た。

大学教授の令嬢として生まれた怜子は、今日も続く名門・桜蔭高等女学校を経て、昭和女子薬学専門学校を卒業し、結婚を待つばかりだった。

ある日、「黒服の異人さん」が怜子の家を訪ねて来た。

その「異人さん」はゼノ修道士といい、隅田川の近くで戦災孤児の世話をしており、喜捨を求めに来たのだ。

ゼノは、怜子が当時の女性としては異例の学歴を持っているいることを知り、「子供たちの勉強が遅れているので、見て頂けませんか」と切り出した。

怜子は、喜んで応じた。

◆ 戦災孤児のために生涯を捧げる

「蟻の町」と呼ばれる貧民街では、戦争で親を亡くした子供たちが廃品回収で生計を立てていた。

やがて怜子も、東京都から監察をもらい、リヤカーを引いて廃品回収に回った。

ゼノ修道士は、シュラフタと呼ばれるポーランドの貴族階級に生まれ、実弟は駐日ポーランド大使だった。

しかし、怜子もゼノも安楽で華やかな生活に何の未練もなかった。

親を亡くし途方に知れていた子供たちに笑顔が戻って来た。

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