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*「蛇のように賢く、鳩のように軽やかに」
… 人は何のために学ぶのか?
(1)自己を他者のように見る
われわれの心は弱く、知性は心許ない。「易きにつき低きに流れる」のが人の常である。目の前に利益をちらつかされればすぐ飛びつくし、ほめられれば慢心し、けなされれば恨む。このようにわれわれの判断は、絶えず利害関係や愛憎好悪の感情に干渉され、誰しも性急な決断で後で後悔したことがない者はいないだろう。
さて、19世紀末にユダヤ系のアルフレッド・ドレフュス大尉が陸軍の武器の機密をプロシア(ドイツ)に流したという罪で告発され、南米ギアナに流刑になった。
参謀本部ではどうしてフランス陸軍の火砲の性能に関する詳細報がプロイセンの知るところとなったのか調査委員会が組織された。
ストラスブールのリセからサン=シール陸軍士官学校を優等の成績で卒業したピカール(Marie-Georges Picard, 1854-1914)は、若くして左官となり、陸軍大学で教鞭を執る優れた将校で、将来はフランス陸軍の要路での指揮を期待されていた。
調査は、このピカール大佐に委任された。ピカールは、ドレフュス大尉かつて陸軍大学で教室にいたことを思い出し、自分の教え子が祖国を裏切るようなことをしたなどという噂が信じられなかった。
◆「しかし、彼は無実なのですから …」
そして、ついにピカール大佐は、ドレフュス大尉ではなく他に真犯人がいることを突き止めた。
そして、その新発見を上司に報告すると、将軍は冷たく言い放った。「君とそのユダヤ人に何の関係がある。ユダヤ人一人が悪魔島で死んだとしてもどうでもいいだろう … 君が言わなければ誰にもわからない」。
これまで軍務に精勤してきたピカール大佐は、わが耳を疑い、「しかし、彼は無実なのですから …」と抗弁した。しかし、上司はそれに取り合わなかった。
侮辱を受けたと感じたピカール大佐は、参謀肩章を引きちぎり、ドレフュス事件の全貌を究明する不屈の知識人となった。
ピカール大佐は、自己の保身では利害損得ではなく、自己の価値観を一旦宙吊りにして検証する、つまり自己を他者として再点検する視点持っていたのである。
(2)出来事を運命ではなく「関係の束」として捉え直す
米国でまた、ジョージ・オーウェルの『1984年』がベストセラーになり、全体主義に向かう監視社会を予見したこの未来小説の価値が再認識されている。
オーウェルの小説は、一般に共産主義の未来を予見したものと言われているが、安倍首相の追及して来た新自由主義レジームのスローガンと現実との乖離のはなはだしさも『1984年』を連想させるものだろう。
安倍政権下でどれだけの言葉の言い換えで、現実に行われていることとの乖離が隠されてきたことだろう。
★ 武器輸出 → 防衛装備移転
☆ 戦争法 → 平和安全法制
★ 新しい判断 → 公約違反
☆ 武力衝突 → 戦闘行為
◆ 稲田防衛相「武力衝突は戦闘行為ではない」
稲田朋美防衛相は2月8日の衆院予算委員会で「戦闘行為」の有無について、「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」と述べ、同一の事実に関していかなる命名をするかによって、合法か違法かが変わるという、弁護士らしからぬ珍無類の判断を示した。
オーウェルは、時間的・空間的に限られた経験を等しく共有しながら、出来事を運命として受け身にとらえるのではなく、それを「関係の束」として捉え直し、その出来事の中でうごめく可能性を見つめることによって、自分がなき後の世界のあり方さえ予見し得たのである。
(3)逆境に立ち向かう
古代のローマ人は、困難に負けない成年に育つよう、青少年父祖の威風(mos majorum)を教えた。
人生は順風満帆のときだけではない。
運命が反転し自分に刃を向けようとしたとき、その逆境にどう立ち向かうべきか、「勇気と名誉はどうあるべきか」「徳とは …」「人間が人間たるべき姿とは何か」を子供たちに教えたのである。
そして歴史の節々で、自分たちの父祖が困難から逃げることなく、逆境を知恵と勇気で切り抜けた経験を教えることによって、「いまここにある」危機に立ち向かう勇気を涵養して行ったのである。
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