自分の弱みをストーリーに

「あなたの弱み、劣っていると思っていることは?」....  そう問われると....できれば見ない、考えないことにしておきたいものだった。

むしろ、今は 自分の得意なこと、強みを見つける(または、アピールする) ことに
フォーカスすることが多いのではないでしょうか?  その方が楽しいし。
でも、あえて自分を独り正直に見てみると
欠点と思い込んでることが宝を生む事もあり
「そこから、独自のストーリーがうまれる」
可能性があるのかも、と腑に落ちた。

そのきっかけは、この夏ラッキーなことに 世界で活躍されている、指揮者の
村中大佑さんと個人セッションさせていただく機会を得た。村中さんは言うまでもなく海外での音楽経験が豊富。人の本質を見抜く、独自の感性で音楽を牽引するマエストロ。
その村中さん曰く、
得意なこと、「強み」より、「弱み」にその人の本当のチカラが隠れている場合が殆どだと言う。そこに灯りを灯してあげるように、
自分に向き合い、視点を変えてみることの大切さを教わった。そこで自分が欠点だと思っていること、足りないことを 掘り起こしてみることに....

音楽作品においても名作と呼ばれる作品は
人間の弱さ、愚かさ、欠点 を昇華させたものが多い(特にオペラ)
自分で思いこんでいた 自身の弱みが別の視点で見れば人生において、振り返ると、自身の「色」や 「チカラ」になっていたのかもしれない。

時間を遡り振り返ると、人生のターニングポイントとなった最初の時は....
イタリアへ渡ったこと。一見華々しく勘違いされがちだが、23歳の時、専門学校を終えただけで、「その先」が何も決まらなかったからにすぎない。優等生が国費を得ていく留学とは違う。

でも、ここからの経験が今の私に大きな影響を残している。日本での規制のルートに乗れない?思いがあり (音大から、大学院でオペラを研鑽し、二期会や藤原歌劇団の研究生コースを終えコンクールにて入賞しプロの舞台をつかむ )は、無理と想像できた。私は人より音楽の勉強を始めたのが遅い。
大学ではなく専門学校出身である。 有名な顔の効く先生に師事していない( クラシック音楽界では重要視されてた) 。
それならオペラを生んだ国、イタリアの空気感を 感じてから諦めようと考えた。
音楽で身を立てられなかったら、イタリア語だけでもモノにできれば、という浅はかな言い訳を共に、人とは違う遠回りの道を選んだ。「王道」を歩けなかったからこそ。

音楽を学ぶ人にとって外国で学ぶ、といえば1番多かったのは、ウィーンだった。
歌の人、特にオペラだと、ミラノだった。
私の場合は先ず イタリア語で修了証書を得る目標だったので、中部🇮🇹トスカーナ州のシエーナという街が第1候補だった。なぜなら、学費が安い公立の外国人のための大学があったから。あとは、大都市に比べ治安が良いなどから。
土地柄と、自分の感性が合うような気がした。この勘が決めて。
シエナとはこんな街↓



イタリアの場合、日本のように効率よく社会が動いていない。
当時1990年、入学願書から入学許可書を得るまでがまぁ 長い....確認?催促をしても
「8月なので、事務処理はできません(バカンスだから)」...... そんな返答が返ってきた。
今はネットがあるから事情は違いますが、当時はエアメール、ファックスでのやりとり。日本のようにはまわっていないイタリア社会の洗礼を受ける。

一年余り、留学に準備を要し1991年春
アエロフロート航空 モスクワ経由で
ローマに向かう。トランジットが5時間
モスクワは当時まだ、暗くひとりで待つ時間は異様に長かった。
ローマにて、さっそくジプシーの物盗みの子供たちがたむろしている中をくぐり抜け、
とりあえず、最初の宿についた。

次回はイタリアでの慣れない生活🇮🇹のはじまり、
イタリア人の学生と、アパートをシェアする暮らしを、書いていきます。

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