資治通鑑 胡三省注 隋紀六 大業9(613)年 (29)

 煬帝は更に江都(こうと)郡の郡丞(ぐんじょう)である王世充(おうせいじゅう)を派遣し、淮南(わいなん、淮河(わいが)より南、長江より北の地)の兵数万人を徴発させ、劉元進(りゅうげんしん)を討たせた。

 王世充は長江を渡り、劉元進と度々戦って全て勝ち、劉元進、朱燮(しゅしょう)は呉県において敗死し、その残党のある者は降り、ある者は逃散した。

 王世充は先に降った者を通玄寺(つうげんじ)の仏像の前に呼び集め、香を焚いて誓いを為し、降る者は殺さないと約束した。

 逃散していた者は初め、海に入って盗賊になることを望んでいたが、彼らはこれを聞いて、1ヶ月の間にほぼ投降した。

 しかし王世充は彼らを全て、黄亭澗(こうていかん)において生き埋めにし、死者は三万人余りに上った。

 これによってその残党はまた集まって群盗となり、(民の信頼を完全に失った)官軍は群盗を討つことが出来なくなって、それにより隋は滅ぶに至った。

 煬帝は王世充に将軍としての才能が有ることを理由に、益々彼を寵愛し信任した。

 この年、詔して盗賊行為をした者の家の財産を没収した。

 時に群盗は天下のあらゆる所に満ち、郡県の官吏はこの事によって、各々権力を振りかざし、民に対する生殺与奪(せいさつよだつ)をほしいままにした。

訳者注

※江都郡(こうとぐん、政庁所在地・現・江蘇省揚州市)

※郡丞(ぐんじょう、太守(たいしゅ、郡の長官)の補佐官)

※生殺与奪(せいさつよだつ、生かすも殺すも、与えるも奪うも、思いのままであること)

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