資治通鑑 胡三省注 隋紀六 大業9(613)年 (5)

礼部尚書(れいぶしょうしょ)楊玄感(ようげんかん)は武勇に優れ、騎射が巧みで、書を読む事を好み、客をもてなす事を喜びとし、天下の名士の多くが彼と交遊し、その中でも特に、蒲山公(ほざんこう)李密(りみつ)と親密であった。

李密は李弼(りひつ)の曾孫であり、若き頃より才能と計略に溢(あふ)れ、志が高く、財貨への関心は薄いが、有能な人材には強い興味を示し、やがて彼自身が、宮仕えをして左親侍(さしんじ)となった。

そして煬帝は李密を見て宇文述に

「先程、左側の列で護衛をしている、色黒の小僧を見かけたが、あれの目付きが険しすぎる、あれに宿衛(しゅくえい)をさせるな!」

と、言ったので、宇文述は遠回しな言い方で、李密が自ら病気と称して、官職を辞退するよう仕向け、そして李密は人との交わりを断ち、読書に専念する日々を送るようになった。

そして黄色い牛に乗って、漢書(かんじょ)を読んでいる李密を、隋の重臣である楊素(ようそ)がたまたま目にして、彼に非凡なものを感じ、家に招き共に語り合って、楊素は大いに喜び、自分の子である楊玄感等に、李密と語り合った事を述べて

「李玄邃(りげんすい)の識見(しきけん)の高さは、汝等の到底及ぶ所ではない!」

と、言い

この言葉をきっかけに、李密と楊玄感は交遊を深めた。

しかし、時に楊玄感は李密を侮る事があり、李密はこれに対して

「人の発言というものは、本当の事を言うべきで、どうしてその場凌(しの)ぎのおべっかなど、使う事ができようか!

だから私は自分の思った事を、率直に言わせてもらう。

敵軍に対して、時機を見極め適切な策を採り、怒声を上げて、敵を震撼さ(震え上がら)せる事において、私はあなたに及ばない。

しかし天下の英才達を用いて、各々の能力を思う存分発揮させる事において、あなたは私に及ばない。

そうであるのにどうしてあなたは、僅かばかりの地位の高さに傲って、天下の士大夫(したいふ)を軽んずるのか!」

と、言ったので、楊玄感は笑って之を肯定した。

※文中に出て来る用語の説明

礼部尚書(れいぶしょうしょ)
(後世で言うところの文部大臣に、外務大臣を兼ねたような役職、一部宮内庁長官のような職務も含まれる)

蒲山公(ほざんこう)
(李密の爵位)

李弼(りひつ)
(西魏(宇文泰)に仕えた武将)

左親侍(さしんじ)
(皇帝の護衛をする役目の武官)

宿衛(しゅくえい)
(宮中に宿直して皇帝を護衛する事)

漢書(かんじょ)
(後漢の班固(はんこ)、班昭(はんしょう)が編纂した正史)

玄邃(げんすい)
(李密の字(あざな)

識見(しきけん)
(物事を判断する能力)

士大夫(したいふ)
(官職に就いている人間、または、官職に就けるような、階層に属している人間)

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