資治通鑑 胡三省注 隋紀六 大業10(614)年 (3)

 8月4日、煬帝は懐遠鎮(かいえんちん)より軍を返した。

 邯鄲(かんたん)の賊の頭目・楊公卿(ようこうけい)はその一党八千人を率いて、煬帝の車駕を後方から守る第八隊を襲い、(御馬(皇帝の馬)を管理する尚乗局(しょうじょうきょく)の中でも第一等の厩舎)飛黄閑(ひこうかん)の馬四十二頭を奪って去った。

 冬、10月3日煬帝は東都(洛陽)に至り、10月25日西京(せいけい、大興城、長安)に帰還した。

 そして高句麗の使者および斛斯政(こくしせい)を連行させて太廟(たいびょう、先祖の霊を祭る建物)に報告させ、なお高句麗王・高元を召して入朝(にゅうちょう、朝廷に参内して皇帝に謁見すること)させようとしたが、高元はついにやって来なかった。

 そこで煬帝は将軍達に勅命を下して遠征の準備をさせ、再び高句麗の討伐を謀ったが、結局(再び)高句麗へ遠征することはできなかった。

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