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社会人2年目に親父のタンスにションベンした話

ドーモ、私はもうすぐノージョブ30歳のおバブ、ヒロポンなどと名乗る社会不適合者である。

体調不良で一日寝てしまい寝つけないので、昔の思い出でも語ることにする。

皆さんは社会に出て、お酒を飲みすぎた経験はおありだろうか。

未成年の皆さんには想像できないかもしれないが、酒というのは、普段は大人しい人間を北〇の拳のヒャッハーさんのごとくトチ狂わせ、普段からトチ狂った人間はもっともっとトチ狂わせ、温厚な上司を瞬間湯沸かし器に豹変させ、かわいいあの娘はもっともっと可愛くなるか酔って寝たところを先輩にお持ち帰りされるという、恐ろしいヤクブツである。

「酒は普段隠されてるその人の本性を引き出すんだよー」などという輩がいるが決してそんな戯言を信用してはならない。アルコールは薬物であり脳機能を一時的にマヒさせるいわば一種の合法シャブであるからして、酒が人の本性を引き出すのならアヘンだろうがコカインだろうがヘロインだろうが同じという理屈になる。そんなことあってたまるか。

私個人は酒は嫌いではないが、緊張したりストレスがたまると飲みすぎる傾向にあるため、「会社の飲み会」という極限緊張ストレス空間では大抵飲みすぎていた。

別に上司や同僚に強制されたわけではない。寧ろアルハラがあればそれを理由に訴えたり辞めたりできたのだろうが、私は自ら進んで、コップに日本酒を並々注ぎ、それをまるで真夏の炎天下に一試合終えた高校球児が水を貪るがごとくぐいぐいと飲み干した。

そして翌朝大抵死ぬほど後悔した。

いつもへべれけのぐっでぐでになって帰宅し、家の中でキョンシーのように跳ね回り、踊りながらゲロをまき散らして家中を酸っぱく香りづけした。

そしてほぼ毎回途中で記憶を失っており、大抵飲み会序盤の記憶以外はベッドで死にかけていた思い出しかない。

私自身、酒癖が特段悪いとは微塵も思っていなかったが、量を飲むと泣き喚き、さらに飲むと奇行に奔る癖があることは自覚していた(世間様はそれを「酒癖が悪い」と呼称することに気づいたのは最近である)。

大学生時代から今日に至るまで私は酒で幾度となくとんでもない大失敗を重ねてきたが、中でも一番家族との仲が険悪になったのは「親父のタンスにションベンぶちまけた事件」であろう。

社会人となって日の浅かった私は会社の飲み会というものが苦痛で仕方がなかった。年の近い同期や先輩と飲むならいざ知らず、私のことを使えない今どきの若者と見なす上司達の前で、お酌のマナーも知らないのかとお叱りを受けながら必死に作り笑いをしてへこへこ謝り媚び諂い、根性がなってないだの俺の若いころは云々をさも真剣に聞き入っているかのように頭をたれ「そうなんですね!」「すごいですね!」と相槌を打って見せ、赤ベこの仕事を奪うが如く頷きまくって、爆音ヘヴィメタルでヘドバンでもしたのかというくらいには首を痛めた。

しまいには上司から「まあお前も一杯やれ」となみなみ注がれたジャパニーズSAKEを「ありがたくいただきます」などと作り笑いで飲み干すことを繰り返した。杯を乾かす度、心も乾いていった。「金のためだ」「暮らしのためだ」そう思って耐えたがやがて視界は回りだし、トイレにこもってはマーライオンと化した。

そんな飲み会を繰り返している折、とある飲み会で私がとても苦手としていた、後輩のことを「おまえ」と呼んで憚らずなにかというと「あ?」「馬鹿じゃねえの?」と威圧をかけてくださる超ド級ウルトラ体育会系先輩と杯を交える機会があった。緊張していた私はその方の前で深酒をしていつもより深く酩酊した。そしていつも通りそこでプッツリと記憶を失い、目が覚めたら私はパジャマを着て、居間の布団で寝ていた。

一体あの後どうやって帰ってきたのか、また、なぜ寝ていた場所が二階にある自分の部屋のベッドではないのか、不思議に思ったが、記憶がないのもいつものことなので別段気にしなかった。

のどが渇いたので台所へ行くと母がいた。

母はなぜかあまり私の顔を見ようとしなかった。

昨日は私はどうやって家に帰ったのかと尋ねると、先輩が私を背負って運んでくれたらしい。

普段であれば酩酊し記憶を失っても自分で何とか転げながらも歩いて帰る私であったから我ながら驚き、先輩に申し訳がないなと思った。

水を飲んだのち、不意に畳の部屋に目をやると、タンスの引き出しが一つ引き抜かれており、畳の上にはなぜか新聞紙が分厚く敷かれていた。

不思議に思った私は母に「これはなにがあったの?」と尋ねたが、母は苦笑いしながら口を濁した。

しばらくすると父が起きてきたので、同様になにがあったか尋ねてみたが、「自分の胸に聞いてみろ」といつになく不機嫌であった。

さらにしばらくすると姉が自室から出てきたので声をかけようとすると、姉は、はっ、とした顔をした後私から目をそらした。

尋常ではない何かが起こったのだ。と私は思ったが誰一人として何が起きたか私に教えてはくれなかった。

触れてはいけないような何かが起こったに違いないと考え、私はまるで何事もなかったかのように平静を装い、普段通りにすることにした。

そうこうしているうちに母も父も外出し、家に残ったのが私と姉のみとなったとき、姉は私に「おまえ」と声をかけた。

「お前は昨日先輩に引きずられて帰宅したあと畳の上でひっくり返り、ひとしきり暴れた後、すくっと立ち上がって、父のタンスの、下着や靴下の入っている引き出しをガラッと引き出したんだ。なにごとかと監視していると、次にお前は手慣れた手つきで、さも当然であるかのようにその場でズボンのチャックを下した。これはイカン!と思って母と二人で『ここはトイレじゃない!まて早まるな!』とお前の両脇をかかえてタンスから引き離そうとした。しかし時すでに遅く、お前のみすぼらしい一物から噴出した汚い水鉄砲は、父の洗いたて純白の下着やお気に入りの御洒落くつ下を難なく蹂躙した。それどころかお前の膀胱はその容量のとどまるところを知らず、床を侵し、お前の服を汚し、一体いつまで続くんだと我々が涙ぐんだところで漸く活動を停止したんだ。お前は哀れにもその記憶の欠片も残っていないようだから、なるべくその事実からお前を遠ざけようとしていたのに。お前は自ら我々に何事があったのかなどと聞きやがって。これで満足かこの巨大膀胱野郎。」

と、事のあらましを事細かに語ってくれた。

要約するとどうやら私は酩酊の果てに父のタンスを小便器と間違え、わざわざ引き出しを開けて中に放尿したらしかった。

その日以降数日にかけて、私と家族の空気がいかなるものであったか。多くは語らぬが皆様には想像をもって感じていただきたい。

全てが汚点と言っても過言ではない私の人生の中においても、この出来事はことさら汚点中の汚点である。消したくても消せない過去もあるが、もしタイムマシンがあるなら、この時の私に思い切り拳を叩き込みたい。

長文になってしまったので以上にする。

皆様もどうか深酒には注意していただきたい。

ではまた。


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