現役「宗教信者」のスヤスヤ教に対するモヤモヤ
言いたいことは表題が全てなんだけれども。
自分はいわゆる宗教2世ってやつで、物心がつき始めた頃に今の信仰生活が始まった。胎教から信仰を叩きこまれていたわけではないが故に、世間とのギャップに苦しみ、脱会を試みたこともあったが、今ではなんだかんだ言いながらもそれを”信仰”している。己の人生に肯定的になれた今も、その宗教を嫌っていた昔においても、変わらず自分の考え方の軸には教理があった。信仰とはそういうもので、否が応にも人の心臓に根を張る。
そういう人間から見て、某ミームを取り巻く現状って結構不快だな、と思ったから、当事者の一意見として残しておこうと思った。勿論宗教というのはそれそのものが多様であり、また信仰の在り方も個々によって異なる以上、ここでの感想が全ての信仰者の総意では決してない。宗教学や他の宗教にも精通はしていないから、論理的批判でもない。あくまでこういう感想を持つ人も当然いたよ、ということを残しておきたいだけだ。要はそこらの掃きだめツイートを記事にしているだけである。
○事の起こり
自分がそれを認知したのは、Twitterのトレンドからだ。単語の文字面のみをさらった第一印象は「ああ、いつものオタクたちの戯れか」と言った感じ。普段から推し活宗教ごっこで遊んだり猫を崇め奉っている彼らのことだから、まあ睡眠を求める様を宗教に例えて遊んでいるのだろうとのんびり構えていた。最近では祠を壊すムーブメントがあったらしい(その当時は忙しくあまりインターネットを見ていなかったので実情は知らないが)。実際に怒られが発生した、というのは風の噂で聞いたから、また変なことにならないといいがとは思いつつ。
まあ、ここまでは良かったのだ。
○聖地「ネルサレム」
ああ、終わったな。そう思った。このアカウントを運営している人は、この程度の倫理感で一連の発信をしていたのかと。現在進行形で問題になっている地域で遊べるその無神経さに、部外者ながら腹が立った。この前まで鳥居懸垂でキレてただろお前ら。自分たちの大事なものをオモチャにされたら怒るのに、他人の大事なもので遊ぶのはオッケーってそれジャイアンよりタチ悪いだろ。後日「ネルエライ」に改名されたらしいが、それも何だか「それっぽさ」を求めているのが透けて見えていてちょっと気持ち悪い。
まあでもこの一点だけで叩くのも失礼かと思い、もう少し動向を追ってみることにした。
○「宗教上の理由で」
まずスヤスヤ教の発端が「様々な面倒事を『宗教上の理由』で断る口実のためだけ」の便利な生活宗教、という名目らしいことだった。「宗教上の理由で」という言葉はインターネットにおいても使い古されてきたミームの一つであり、自分自身この言葉自体は好意的に受け入れていた。
これまでは、だ。
問題は、この意味を内包しない枕詞に「中身」を与えてしまったことだ。要は宗教上の理由で自身に降りかかる面倒事を避けたいという魂胆のみで神擬きをでっちあげて、本当に「宗教上の理由で何かを断る」という行為の形がトレースできるようになってしまったことにあると思っている。
なあ、宗教上の理由でって言ったら何でも許されると思ってんなよ。本当に学業や仕事や遊びの上で「宗教上の理由」を以て様々を断ることがどれだけ難しいことかわかって言ってるか? 実際に信仰があってもその配慮が認められなかったから、仕方なく仕事か宗教その片方を切って折り合いつけるような経験もこちらは沢山してきている。理解を示してもらって配慮を受けた経験も無論数多くある。そういう「交渉」を嫌でもしなければいけない人の苦労や、それをやむを得ず受け入れてきてくれた人々の寛容を馬鹿にしているとしか思えない。
宗教が面倒臭くないと思っているのか? 信者は信じるもののために結構身を削ってる。信じる者は救われるなんて言葉があるが、信じているだけでは救われない宗教も結構多い。信じているからこそ教義を実行する、その不断の努力の上に毎日が成り立って明日につながってるんだ。宗教あるから面倒事避けられてラッキーとか思ったことねえよ。
面倒なら面倒だと言って断れ。寝たいなら寝たいと言って寝ろ。そういうみんなの希望がスムーズに通る環境になるように声を上げたり転職したり明日期日前投票に行くなり、何でもすればいいじゃない。
ともかく、この時点でこの宗教ごっこを無視できなくなってしまった。
○指摘=「冷笑」
このあたりから、スヤスヤ教の問題点の指摘が行われ始める。まともな人がいてよかったと胸をなでおろしながら引用RTを眺めてみると、「冷笑乙w」「内輪ノリに首を突っ込むな」などなど……
中学生の方がまだまともだぞ。
さっき鳥居懸垂の話出したけど、「『十字架で懸垂されたら……』は何の反論にもなっていない」と反論する外国人がいたのと同じように、ネルサレムを鳥居懸垂と同じ行為だと指摘されたら馬鹿にしてあしらうところまできっちりなぞっててもはや芸術点高くて感心した。するか。他の方も指摘していたがまずスヤスヤ教自体が宗教全体への冷笑である自覚が無いのが怖い。「作者(も、みんなも)そこまで考えてないと思うよ」? 考えてないのが問題なんだよ。考えていないから無思慮で分別のつかない異文化へのリスペクトが欠けた陰湿な遊び方ができる。一人が許していたらOKとかそんな温い話ではないと思う。人の気持ちを大事にする気が頭から無いのって、だいぶ世界平和と遠い姿勢だろ。
スーパーで周りを見ずにギャハギャハ騒いでたら注意されて文句言ってるチンピラと変わらん。問題があるからそれを提起しているだけで、別に適切な場所で遊んでたらケチつけない。てか中国進出だのアメリカ進出だのもう内輪ノリの域超えてるって、教祖自身も積極的みたいだし。「敬虔なクリスチャン」「殺されるかと思った」? 殺されると思ったってことは失礼なことをしているという自覚がおありなのかな。つうか「殺される」ってやっぱ宗教って物騒なもんだと思って馬鹿にしてるだろ。
空飛ぶスパゲティモンスター教を盾にする人もいるけれどこれも他の方々がおっしゃるように同じ土俵に上げるものではないと思いますよ。
○SHARP
君もうTwitterやめろ
○スヤスヤ教入信者のみんなへ
ここまで議論が拡大してきてなお入信を宣言する人が多いことが一番怖いと思う。「スヤスヤ教は既存宗教のカウンターになってる、俺は無宗教だからもっとやれって思ってる」って、攻撃的な発言をしている人の方がまだいくらか信念があって好感が持てるくらいだ。宗教が嫌いなら嫌いってはっきり言ってくれた方が断然楽かもしれない。日本人が作った宗教ミームはカジュアルで可愛くて平和的で、世界もこうなったらいいのにね。みたいな、根底に潜む上から目線、日本人は理知的でウィットに富んだユーモアとそれができる教養と余裕があってクリーンだと信じて疑わない無垢さが苦しいよ。俺は俺の友達に、こんなことを言う人がいたら悲しく思う。
自分事にはうるさいのに、よくわからないものは「なんか怖い」から無関心で蓋をしとけばいいやと思いながら軽く遊べてしまうその精神性、多分宗教以外にも使ってるよ。相手のプライベートや思想信条、属性、君らいつでも隠れた地雷を踏みぬく可能性があって、踏み抜いた上で悪気なくヘラヘラできる根性もってるんだよって話をしている。スヤスヤ教の一連の流れで一番嫌だなと思ったのは、このみんなの「無関心」、宗教への意識の低さに他ならない。
どうせ他人事だと思っているんでしょう、日本に宗教信じてる人なんてそうそういないよ笑、って。なあ、君たちが忌避するその「何か怖い」ものを人生の軸においているのは君の友達かもしれないよ。これ読んでる中高生、お前の隣の席の子だって、言ってないだけで何かを信じて日々を生きてる奴かもしれないよ。言葉や行動、考え方の一つ一つに、これは信じているものと違わないかなって思いながら過ごしている子は案外身近にいるもんだよ。
それが脱会したがっている2世信者だったとしてもそうだよ。皆は気楽に「やめたいならやめなよ」って言うけれど、それも他人事だから言えることってわかった方がいいよ。そう簡単に染みついた信仰意識が抜けたらあいつら苦労してないよ。
宗教勧誘に対してどうやって上手く追い返して笑ってやろうと企んでいる人たちにもずうっと言いたかったことだけれど、彼らも君たちと同じ人間で、別世界の住人ではないんだよ(申し添えておくがしつこい押し付けには屹然と、対応してほしい。暴言や嘲笑ではなく。日本には信教の自由がある)。
別に俺は宗教のことを完全に理解しろ、俺たちの気持ちをどうかわかってくれ、だなんて甚だ思っていない。理解しろと言われてできるものではないのだから。入信しろだなんて以ての外だし、問題を起こしてきたカルトたちを擁護する気もさらさらなくって。
ただただ俺が言いたいのは、「自分たちの文化と同じくらい、他の人たちの文化に多少は関心をもって大切にする姿勢くらい見せろ」って話だ。知らないなら知らないなりの誠意を見せてほしい。ミームで遊ぶ教養があるなら、今していることはあまり良くないかもと思って立ち止まるくらいの知性だってあるはずだよ。
本当はこんなこと書き込むべきではないのだけれど。怒りは信仰から当然遠いところにあるものなのだから、一宗教人としてこの件には触れずに静観して、穏便に受け入れるのがいいんだろうと頭ではわかっているのだけれど。同じように信仰を大切にしている人が、社会で居場所をなくしてほしくないと思うから、やっぱり誰かが釘を刺さないとと思ってしまう。それは大義名分で、自分が気持ちを吐き出したいだけなのかもしれないけれど。このブームが去った後も、きっと日本人の中には宗教への蔑視が横たわり続けるだろうからさ。
ただただ、宗教を信じる人も、信じていない人も、信じたいと思っている人も、やめたいと思っている人も、やめた人も。全員が穏やかによく眠れる夜を、ただひたすらに祈っているだけなんだよ。
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