見出し画像

イラストやると決めてから2週間

たった2週間でも、上達が見られるな、とスケッチブックを見ながら思った。いや、最初の2週間だからかもしれない。そのうち、何も変わらなくなってくるのかもしれないけど、今のところは、だんだん描きやすくなったり、早くなったり、線が確実になったりしてきている。でも、もっと良くしたい。


スケッチブックはこの2週間で1冊終わった。毎日、三人くらいの女の子を書いている。とても楽しい。たまに、頭の中から意地悪な声がするけれど

(こんなことしてていいの?)(全然上達してないよ)(このまま何も変わらない、無職の情けない自分のままだよ)とか。


無視して続ける方法もまた、学んでいる。noteで色々な方が背中を押してくれたおかげで今の私がある。本当にそう思う。そうでなければ、いま、きっと「してみたいな」なんて思いながら何もしなかったはずだ。


最近、横になって眠る時、ふと10年前のことを思い出す。


10年前、私は、今と全く同じような状況にいた。

高校を卒業して、でも大学もいかず就職もしなくて2年間ただ、家の中にいた。映画をGEOに借りに行く以外は外に全く出ず、あまり食べず寝もしなかった。

その時唯一してみたいと思っていたのが、イラストを描くことだった。スケッチブックとペンと水彩絵の具を買って、1年間くらい描いていた。その時は、インスタもフェイスブックもあったかもしれないけれど知らなくて、知っててもきっとしなかっただろう。


1年間描いて、あっけなくやめた。絵は全部捨てた。悲しいとも悔しいとも思わなくて、これくらいが当然だと思っていた。どうせ、諦めるだろうと思っていたし、自分にも状況にも全く期待していなかった。ばあちゃんになんとなく電話して、絵を描くのをやめた、と伝えたのを覚えている。その電話を切った時、ああ、本当にやめちゃうんだな、と思って自分にがっかりした。


それから、自分に、自分の絵への情熱に全く期待しなくなった。どうせ始めても、またすぐやめる。みてくれる人なんていない。そもそも人に見せて何か反応をもらおうとするほど自分には情熱はないと思った。


大学に入って、それでも何も書かなかった。卒業して、就活をせずにすぐにノルウェーに向かった。一人で外国に住むということが本当にこんなに難しいことなのか、とわかったとき、家がなくなって、しばらく売家の中に住んだ。他のホームレスもいて、その人たちと仲良くなったらこのままずっとホームレスだ、と思い出来るだけ昼間は外に散歩に出ていた。


仕事を探しながら、だんだん眠れなくなって、朝の3時ごろに起き出すようになってから、また描き始めた。スマートフォンもタブレットも何も持っていなかった私は、他にやることがなかった。5年ぶりにイラストを描いた。その時初めて楽しいと思った。


しばらく描いていた。次の年、ケルンに行って、働いた。また次の年、病気で倒れて、精神科に入院した時、暇でネズミの兄弟がアボカドを食べたくてメキシコを目指すというコミックを描き始めた。すぐに難しくなって、そういえば簡単じゃなかったな、ということを思い出した。いよいよ体調が悪くなり、帰国しないといけないとなった時、荷物を減らすために全部捨てた。


あの絵たちは、みんなどこへいったんだろう。燃やされて灰になって、でも今、どこかで埃としていきているかもしれない。悪いことをしたな。自分を半殺しにするみたいだった。


よくある恋愛歌とかで、今度こそ離さない、みたいなのあるけど、今はそういう気分だ。描いてできたものがどうであれ、これは、私だけのものだ。


10年前、諦めずに続けていたら、5年前、捨てずに描いていたら、今どれだけ上手になっていただろう、と考えることもある。けれど、きっと、そうしていても、いまのようなところにたどり着いていただろう。こういうのは一本道ではないから。


今夜はイワシのマリネで、魚屋さんで買ってきた頭のついたウルメイワシをばあちゃんがいちび一尾、丁寧に開いている。上に乗せる野菜を面倒くさがらずにスライスしている。イワシをきれいに洗って、拭いて、片栗粉をつけて、揚げ油の準備をしている。どうせ、1時間後には腹におさまってなくなるものなのに、一つ一つ丁寧に、そうしている。

画像1

画像2

画像3


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?