アラカジュの中学校のストリートビュー
アラカジュはセルジッペ川のほとり、大西洋に面した美しい町。バイーア州の北隣、セルジッペ州の州都です。ジュアゼイロには小学校しかなかったのでジョアンはこの大きな町の中学校に入学します。ジョアンの生家もジュアゼイロの町の中心の聖堂がある広場に面していましたが、アラカジュの学校「Colégio Jackson de Figueiredo」も同じく町の中心の大聖堂「Metropolitan Cathedral」がある広場に面しています。道向かいには公園の緑豊かな木々が見えます。アラカジュはジョアンの第二の故郷です。
ジョアンはこの学校の「寄宿生」でしたが、叔父と叔母の家に住んでいたという説と、EzequielとBissextinoというふたりの友達と一緒に住んだという説があります。ボヘミアンですからあちこちに寝泊まりしていたのかもしれません。
アラカジュはジョアンの生家があるジュアゼイロからは陸路で500kmほど離れているので、東京-大阪間の距離とほぼ同じ。ジュアゼイロからバイーアの州都サルバドールの距離もほぼ同じです。
ジョアンのアラカジュ時代の記録はほとんど存在しませんでした。有名なルイ・カストロ著「ボサノバの歴史(原題Chega de Saudade)」も1948年にこの町からジュアゼイロに帰省したあとの話から始まります。
ところが、2010年にジョアンのアラカジュ時代の記録が書かれたエッセイ「Lá do Lado de Cá o País da Tropicália」が発売されます。著者はアラカジュの医者で詩人のMarcelo da Silva Ribeiro。今年75歳になりますが、医者としてジョアンのギターの先生、カルネラの病気を診ていたので、彼から直接ジョアンの話を聞くことが出来ました。ブラジルではこの本がまだ購入できます。
ジョアンの小学校時代には、ジュアゼイロにはまだラジオ曲がなく、ジョアンが教会以外で音楽を聴いていた記録はありません。
ジョアンは1942年にアラカジュに来てから(1944年説あり)、3年前に開局したばかりのRádio Difusora Aperipêでオルランド・シルヴァや フランシスコ・アルヴィスらの流行歌を聴くようになりました。初めてのボーカルグループを作ったのも、初めてのギターを手に入れたのもこの町。ギターの入手については「1946年にギターを父から貰った」「14歳の時、父の反対にもかかわらず祖父からもらった」ほか色々な情報があふれていますが、この本で真実が分かります。著者が本人から聞いています。
ここからは有料になりますが、ジョアンのギターとの出会い、中学生の時に歌っていた曲、当時ラジオで流れていた音楽、そして1960年と1996年にこの町に帰ってライブをした時の話などをYouTubeやストリートビューのリンクを交えて紹介します。
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