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井伏鱒二をのんびりと読む

井伏鱒二の小説には、のんびりとしたユーモアがあると思う。

井伏の小説で一番読まれているのはなんだろう。やはり、教科書に載っている「山椒魚」だろうか。

大きくなりすぎて穴から出られなくなってしまった山椒魚。一種の寓話として読める小説だが、そのユーモラスな面にも目を向けてみよう。これはなかなか笑える小説だ。どこかの段階で、「あれ、そろそろやばいんじゃないか」と気づかなかったのかとか、蛙への八つ当たりがひどいんじゃないかとか。

そういえば、米津玄師に「海と山椒魚」という曲がある。「Lemon」などの有名曲に比べればマイナーだが、井伏の「山椒魚」を下敷きにしつつ歌われる「あなた」への思いは、井伏ファンとしてはなかなか心動かされるものがある。

岩屋の陰に潜み
あなたの痛みも知らず
嵐に怯む俺は
のろまな山椒魚だ

山椒魚と蛙の関係を「俺」と「あなた」の関係に読み替えたこの曲は米津なりに「山椒魚」を読解したものとして聴くことができる。「二人で植えた向日葵は/とうに枯れ果ててしまった/照り落ちる陽の下で/一人夏を見渡した」などは単純に詩としてもいい歌詞だから、聴いたことがない人はぜひ聴いてみてほしい。でも、この曲は井伏のユーモアを切り落としてしまっているから、その点がちょっと物足りない。

さて、米津の話をもっとしてもいいのだが、いまは井伏だ。

井伏には「山椒魚」のほかにもいくつか動物を主題にした小説がある。有名どころは比較的キャリアの初期に書かれた「鯉」だろう。しかしこの小説はどちらかというと人間同士の関係の方に重点が置かれているから、あまり動物小説という感じがしない。蜂を主人公にした「蜜蜂塚」などの方が「山椒魚」に近い。

井伏は釣りの名手で、釣りを題材とした小説やエッセイに事欠かない。こうしたものも、動物小説のなかに入れてもいいだろう。井伏の小説は全体にのんびりしているが、釣り小説は魚がかかるのを待つ時間があるせいかそのなかでも特にのんびりしている。静かな山林に流れる渓流の音が聞こえるようだ。

井伏の代表作と言えば原爆を扱った『黒い雨』があるが、こうしたシリアスな小説の方がむしろ例外に属する。もちろんそれぞれの小説が深い読み込みを許容するだけの強度を持っているが、あまり深刻に読むのは井伏鱒二の小説を読む姿勢としてちょっと違うような気がする。向こうが力を抜いてゆったりと構えているのだから、こちらもゆったりとした気分で読むのが良いのではないだろうか。

「本日休診」などは私の好きな小説だ。「本日休診」を掲げていた医者のもとに患者が訪れる話で、医者が主人公の小説だから一刻一秒を扱う場面もあるわけだが、朝早くとか夜中とか休みの日とかに叩き起こされる医者の迷惑そうな顔が頭に浮かぶように書いてあって、人間味を感じる。ドラマなどを見ていると患者の命を守る医療の尊さのようなものを描いた作品が多いようだが、医者を何十年もやっていれば診察も日常生活の一部であるから、深刻にしてばかりもいられないのだ。

同じようなテンションのものとして、『多甚古村』も好きである。ある田舎の村に赴任した巡査の日記という体をとった小説だ。長編小説としては驚くほど同じような構図の繰り返しで、おせっかいながら「こんな書き方でいいのか」という気になってしまう。やはり人生というのはルーティンなのであろうか。

村の巡査だから暇なんじゃないかという感じもするのだが、泥棒の説諭とか喧嘩の仲裁とか毎日なにかしらの事件が起こる。喧嘩と言っても夫婦喧嘩の仲裁や隣人同士のちょっとした諍いに駆り出される場合も多く、事件にもならないような小事件にいちいち巡査が出向いているのが面白い。ほっとけばいいのにという気もしつつ、こういう村の調整弁みたいなものが当時の巡査だったのだろうという気もしつつ。

これは戦中のヒット作なのだが、明日がどうなるかわからない慌ただしい時代に、小さなルーティンを繰り返す巡査の変わらない生活のようなものがよく読まれたのはなんとなくわかる気がする。ちなみに「本日休診」も『多甚古村』も、『井伏鱒二自選全集』の三巻に入っている。

こういう小説を書く人だから、エッセイなど味わい深いものがあって好きなのだが、対談にもいいものが多い。幸い新潮文庫に『井伏鱒二対談集』があるので、比較的気軽に読むことができる。私は特に河上徹太郎との対談「地理・歴史・文学」が好きだ。

井伏 あそこの店で、小林秀雄の「アルチュール・ランボオ」の出版記念回したな。
河上 それはあそこだよ、虎ノ門の晩翠軒。
[…]
河上 それで、おれはさんざん小林にからまれたのが忘れられない。死んでも忘れられないんだ。
井伏 うん。それで永井君が洒落て、アルチュール・ランボオの会だから、アル中が乱暴する会と言ったんだよ(笑)。

功績は「永井君」、永井龍男に帰すべきかもしれないが、「アル中が乱暴する会」は最高じゃあないだろうか。小林秀雄の評論までマジメな顔をして読むのが馬鹿らしくなってくるようだ。

いま井伏はどのくらい読まれているのだろう。小説作品より先に、太宰治の師として知った人も多いかもしれない。研究に関しても、盛んに行われているとは言い難い(とはいえ、一部のスター作家を除けば十分に研究されていない作家の方が多いのだが)。

しかし夏目漱石的な俳味とも、太宰的な自嘲とも、村上春樹的なウィットとも違う井伏のユーモアは、日本文学のなかでも稀少なものだ。いまこうした肩の力を抜いたユーモアを含んでいる小説は少ない。どちらかというと現代の文学は、もっと深刻な顔をしている。

もちろん政治や社会の問題を考えることは重要だが、たまには井伏的な「のんびり」の中に沈潜するのも悪くない。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二訳・于武陵
「勧酒」



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