「生まれてくるぞ!」とぷくたんは宣言した
妊婦さんに出会うと「わたし人生で妊娠中が一番幸せやった」と打ち明ける。期間限定の最高の幸せを、お母さんになるあなたを、ちいさな赤ちゃんを、特別なこの時間を、どうぞ、どうぞ大切に、と願ってしまう。
ホルモンの作用だったのだろうか。期間を通して湧き続けた完全な多幸感。にまにまとこみ上げてくる笑い。
つわりがまったくなかった。もちろん、貧血とか、足がつるとか、しんどいことはあったけれど、それも妊娠が体に及ぼす作用と思うと、こういうことになるのか、と面白くて、今まさに妊娠真っ最中!というわくわく感が満ち満ちてきて体がダウンしたときですら心は充実していた。
とにかく嬉しく、楽しく、満たされ、誇らしかった。
わたしの体は全力でこの「子宮に胎児がいる状態」を望んでいたのじゃないかと思う。
どんどん大きくなるお腹が嬉しくて笑いがこみ上げた。
文字通り、お腹がいっぱいに満たされた喜び。ずっと抱えてきた「苦」は飢えだったのか。欠乏感は子宮の空しさだったのか、と思った。
わたしはずっとずっとさみしかった。なにをしても消えないさみしさが、お腹に粒みたいにちいさいちいさい命が宿った時に消えた。
自分の腹の中で生きているひとのことを「ぷくたん」と呼んだ。
なにをするにも、ぷくたんと共に。食べものも、暑さも、寒さも、眠りも、喜びも、悲しみも、ぷくたんと共に。命を共有してる相棒がいる。絆は最強だった。
40億年の生命の進化と同じ道筋をたどると聞いていたから、自分の体でそのような壮大な活動が行われること、それを体験できること、本当に生きていて良かった、自分に命があることが最高に幸せだった。
実際、体は道筋通りに変化を続け、粒のようだったぷくたんは確実に成長しつづけた。
生まれるスイッチがいったんオンになったら、決して絶対に後戻りするということはないのだな。ただただ進んでいくのみなのだな。40億年分の進化のダイナミズムをぷくたんとわたしで体験した。
2月になると思いだすのだ。
わたしは自作のぷくたんの歌を歌いながら鴨川を歩いた。臨月のお腹をさすりながら。
それは今でも忘れられない、ひとつの雲もない、吸い込まれそうに青い空。蒼穹。
空気が澄みきっていて比叡山の木の一本一本、葉の動きまで見えるんじゃないかというほどクリアに世界の輪郭と色彩が際立って見えた。
あまりにも全てのものがクリアで、濡れている如くに日の光がものの表面を輝かせる。
風は切れるほど冷たかったけれど、わたしはぷくたんとふたりで、そんな世界のぜんぶと対面して張り切った気持ちになっていた。
空気の冷たさも怖くなかったから、背筋を伸ばして胸を張って風を吸い込んだ。
「生まれてくるぞー!」
ぷくたんが世界に向かって宣言していた。
わたしは思ったのだ。
今日のこのなにもかもが輝いている美しい世界の景色は、お腹のぷくたんが見ている世界なんだ、と。
ぷくたんにとって、地上の世界はこんなに美しくて、ぷくたんはこの地上に、こんなに勇ましく意気揚々とした感覚で現れてこようとしてる。
妊娠中のわたしは胎児であった息子の感受性に同化してた部分がかなりあったような気がする。やたらウキウキと機嫌がよかったり、ものごとがドライにスパッと分けられたり、鮮烈な怒りを爆発させていたり、そのカラっとした感じはどうにも、今や11歳になろうとしている息子の性質のものなのだ。
息子と世界の関係を、わたしは自分の感覚のように体験できた。あの日のぷくたんの宣言が息子のものなのならば、息子自身のことをわたしがいろいろ心配しなければならないことなどないのだな。
未来を信じられる。と、思うのだ。
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