ゆたんぽこどもが受け継がれた話

毎日毎日、寒い、寒い冬だった。けれどわたしの布団はいつもホカホカ。

とっても。ものすごく。この世で最高に気持ちがいい!

それはなぜかというと、ゆたんぽ子どもがいるから。

布団乾燥機で温めておいた布団に先に子どもが入る。

妖怪ウォッチの攻略本を持って。

後からわたしが寝室に行くと子どもは腹ばいになって

攻略本を読んでいるか、その本の上に突っ伏して寝入っている。

そこにわたしも入る。ホカホカ~~~~!!!

布団乾燥機+ゆたんぽ子ども最強!

夏は別々に寝るようになっていたけど

冬になって寒すぎてまた一緒に寝るようになってしまった。

 

子どもも気持ちがいいらしい。お互い寝つきがいい。

眠りに落ちる前にホカホカの気持ちよさをじんわり味わう。

寝ている間も成長期の体は活発に仕事をしているのだろうか。

子どもの体は眠っている状態でいることを楽しんでいるみたい。

活動的な熱を発している子ども。

一生懸命眠っている。

眠るという仕事にがっつり取り組んでいるその姿に

なんともいえない貴さがある。

くーすか眠りこけている子どもの寝顔を見ると、

これから来るかもしれない人生の荒波だとか

いろいろな心配や不安がわいてきて、

どうかどうか無事に健康に楽しく幸せに生きていけますように!と

祈らずにはいられなくなる。

けれど目を閉じて、一緒に布団に入っているちいさなお日様の

健やかなエネルギーに触れていると幸せしか感じない。

それは信頼できるエネルギー。

この幸せをなんと言ったらいいのだろうか。


 

自分はどうだっただろうか。

わたしはいつもおじいちゃんの布団で寝ていた。

仏間におじいちゃんとおばあちゃんの布団が並べて敷いてあって

薄暗い部屋に電気毛布のダイヤルがオレンジ色に灯っていた。

おじいちゃんの枕の匂いを顔を擦り付けて匂いでいた。

わたしはおじいちゃんが大好きだったのだ。

布団に一緒に入っておはなしをきいているうちに寝てしまった。

大きくなってからいつも聞いていたはずの話の結末を

どうしても思い出せないのでおじいちゃんに尋ねたら

おななしの途中で必ず眠ってしまうので

最後まで聞いたことなどなかったのだという。

眠ったら運ばれて朝は二階の部屋で目覚める。

眠りと目覚めの繰り返し。

安心感につつまれていた。


この冬、毎晩子どもと気持ちよく布団に入っているうちに、

おじいちゃんはどうやったんかな。とふと思った。

おじいちゃんがどう感じていたかなんて

これまで考えたことがなかった。

わたしにとってのおじいちゃんは、

それはそれは大きな安心で

絶対的に守ってくれる存在だったから

おじいちゃんの中の痛みや不安はわたしの眼中になかった。

知ってはいたけど感じなかった。

わたしのおじいちゃんは小学6年生の時、

たまたまその夏だけ東京に居て

関東大震災に遭っている。

そして戦争時には2年半シベリア抑留にされた。

というダブルで悲惨な体験を経ていた。

おじいちゃんの体には戦争の傷は残っていなかったけれど、

心は傷んでいたと思う。

おじいちゃんは涙もろかった。

おじいちゃんが座っている座椅子の脇には

くずかごが置いてあってその上にティッシュの箱が載せてあったが、

涙より鼻水が先に出てくるおじいちゃんはテレビを見てると

突然そのティッシュをシュッと引き出して鼻をかみ

「もーっいやっ!こんな世の中いやっ!もう寝るっ!」

急に怒り出し寝てしまうことがよくあった。

政治のニュースはもちろん、野生動物が狩りをする場面なども

やばかった。

「この世は弱肉強食や!」

怒りながらシュッとティッシュを引き出して鼻をかむ。

生まれ変わったら何になりたい?などとわたしが聞こうものなら

「こんな世の中に二度と生まれて来とうないわっ!」

怒りながらシュッとティッシュを引き出して鼻をかむ。

基本陽気でお酒が大好きで、おもろかったらそれでええ。

という人だったのだけれど。

「はー、さむ。わしさぶいのん嫌いや。はー、さぶいなー。
 もーっ、いやっ!」

怒りながらシュッとティッシュを引き出して鼻をかむ。

シベリアをおもいだしてはんのかな・・・。

こたつでみかんを剥きながら思ったりしていた。

冬になると怒っていたおじいちゃんも

わたしが息子と寝てる時に感じたように

子どもの熱で暖かく気持ちよく満たされた感じになったはったんかなあ。

もし、そうなんだったら、それだけで、

わたしって生まれ来た甲斐があった。

心から思ったのだ。

あとのことはおまけやなー。

横でただ寝ているだけで幸せ。いてくれることが幸せ。

息子はこの冬中毎晩そうやってわたしのからだも心も

あたためてくれたんだけど、

もしかしておじいちゃんにとって、

ちいさかった自分もそうだったんなら、

わたしは、ほんとうに生まれてきて、よかった。

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