【すわってみた#4】〈歌う人のための声のワークショップ〉@知多半島のライブハウス

 「緊張しているような状況で子どもが突然大きな声を出すことがありますね。これは、大きな声を出すことで緊張を解こうと、無意識にしているんです。」と船津先生が仰った時、内側の暗闇にパッと光が瞬いたような気がした。一瞬、光って照らされたものを見たことから、紐解けて来たことがあった。

私の「声を出したい」欲求は「緊張を解きたい」ことから起きていたのか。

「声を出したい」より先に、緊張している身体があったんだ。

わたしが見ていなかった、見たくなかった、見なかった、見られたくなかった、暗闇に隠していたそれは
緊張している子どもの自分。
呑気で横着、好き嫌いを強く主張し楽しい時は笑い転げる、子どもらしさを生きながら、反面、受けた抑圧や干渉、自分が存在していることの罪悪感、いつか周りから否定され見捨てられるのではないかという不安とずっと戦っていた。
大人の身体にその緊張のこわばりが残っている。

ある日、背筋と肩甲骨を使いながら肩を落として歌ってみると良い声が出た。肩の力を抜いて落とすことが分かってきたら、逆に自分が一日中肩を上げて力んで暮らしていることに気がついた。自分の身体が固いのは体質というより力を抜くことが出来ないということだったのかも、と思った。
解けない緊張。かかってしまったロックは心を開くことまでブロックしてしまう。その不健康な心がまた緊張を引き寄せる。
心は閉じたり開いたりする。心が開く心地よさを知って初めて閉じている状態に気づけるようになる。
緊張して心を閉じている自分を隠していても生きることはできるけれど、満足は得られない。

「声を出したい」という欲求がずっとあった。それで演劇部、バンドのボーカル、声楽、読み聞かせ、朗読、ファシリテータなどなど、いろんなことをやってきたけれど、満足したことがない。私の「声を出したい」は常に「上手にできなかった」とセットだった。声を出して何らかの表現をしようとして結果、「下手だ」と思い知る。聞いてくれた人が「良かった」と言ってくれることもあることはある。でも自分ではそう思えなくて素直に受け取れない。

「上手にしたい」という思考から私は技術の問題なんだと考えていた。正式に学んでいないから、練習しないから、センスがないから。それももちろんある。それで、もっと勉強すれば何とかなるかもしれない。と考えてあちこちの先生の門を叩く。船津明生先生の<歌う人のための声のワークショップ>に参加したのもそういう訳だ。
 
何十年も下手な自分から抜け出せないままなのに諦めず止めない理由は、声を出したい身体の欲求がおさまらないからだと理由付けしていた。

しかし「声を出したい」という欲求の元が、身体が「緊張を解くため」に必要としていたこと、だったのなら、欲求は叶わないはずだ。
私は、目的を取り違えていた。

身体の欲求で声を出す。その時身体には声を出している喜びは確かにある。でも思考は「上手にしたい」なのだから、上手にできていないことを判断しながら声を出している。むしろ思い通りにコントロールできない身体に裏切られているような気持ちになったりしている。

上手にしたいと声を出せば出すほど身体は緊張する。脱力も技術と考えて上手に脱力しようと頑張ったりする。表面上、似た声は出せても身体の芯は固まっていた。ループする永遠に緊張の解けない身体と永遠に叶わない欲求。
 
「自分が出したい声」に最初に出会ったのは中学一年の春。新入生歓迎の行事で演劇部の発表を見たときだった。演じている先輩のお腹から出てくる声に観ている私のお腹が共振して響いた。所謂演劇声を初めて生で聴いて、私は身体に雷が落ちたくらいの衝撃を感じ「私もこの声を出したい!」それは希望の発見で、全身全霊で歓喜の震えを覚えた。

演劇部に入って腹筋を動かして響く演劇声を習得した私は部で一番大きく響く声が出せる自負を持つようになり嬉々として発声練習に励んでいた。私にとって人生で初めて自分が持って生まれたもの(声)を使って、自分を存分に生かしているという実感を得た経験だった。と同時に、セリフと身体の動きを付ける段になると固く平坦で、自意識を捨てらず出来がショボくなるという経験もする。
 
解放を求める身体が声を出したがることを自意識が許さない、そうやって人生堂々巡りの歴史が重なっていく。

船津先生は、声は声帯の振動から発生する音であることを説明してくださった。声は意識したところに響かせることができる。自分の喉、胸、お腹、頭頂、身体の場所を意識して声を出し手を当ててみるとその部分が震えているのが分かる。振動は緊張を解き、身体を癒すものであると。
 
私が元々求めていたのは自分の身体をただ震わせることだった。内面の不健康を声の響きで治療したかったのだ。

考えれば、声楽の発表会前の数ヶ月だけ必死に練習するという自分の行動パターンに心のあり方は如実に現れていた。特別な日のために我武者羅に頑張ることは、私にとっては特別ではない日は頑張らなくていいという言い訳になっていた。発表会で人に見せるために、練習はするのだから身につくものは計り知れなくある。感動も充実もある。実は発表会直後が最も調子が良い。何でも歌えるよ!というコンディションになっているのに、メンタルは燃え尽きていてしばらくは発声する気もなくなってせっかくの声が衰えていくパターン。
上手くなりたいと言いながら、上手くならない方向へ努力のエネルギーを注ぎ込んできた矛盾は、自分自身を声で癒したいという底にある願いに蓋をしている自分の有り様を映していた。

それでも身体は「声を出したい」欲求を送り続けて私を動かしてきた。何十年も。なんて健気な身体だろう。

身体は練習や訓練には素直に応えてくれるものだ。自分が気持ちよい声を響かせるためのワークも教えていただいた。ここには地道な努力がいる。精進精進。
それから、声の響きは人からも伝わり共振するのだというお話もあった。素晴らしい声を聴いて感動するのも震えが伝わって自分と共鳴するからだと。

自分の体の中に響く声、自分が出す声も、人の声も、振動に意識を向けてを味わって受け取る。

意識の向かう先を変えただけで、ものすごく歌う声を出しやすくなった最近の私である。
 
ワークショップの会場は名鉄名古屋本線阿久比駅徒歩2分のライブハウスだった。名古屋からさらに30分。真夏の青空の下を走るローカルな電車に乗って行った。知多半島で見る景色は色彩が濃かった。この日帰り旅は、青春18切符で。
在来線を乗り継いで往復6時間、知らない景色を見て知らない駅で乗り換えるのは楽しかった。
帰りは船津先生の著書を読んだ。
「その声を変えなければ結果は出ない」(三恵社)
船津先生は音声学を大学で教えながら、英語、歴史、アドラー心理学などなどの講座を開いて一般に広く勉強する楽しさを伝えたり、自ら鍛えてこられた声で音楽活動をされたり、ヨガを実践されてたり、と大活躍なんだけれど、実際にお会いすると、まずお姿がTシャツに半ズボンとサンダル、サラサラのグレイヘアで、自然体なのでした。
「緊張」を課題に抱えていた私が、「軽やかさ」を体現されている船津先生に対面する。
この日、旅してやってきた意味はこれだったのだろう。
講座の後の船津先生の弾き語りタイムで心技体が一致している歌を聴く気持ちよさを確認。2曲目でライブハウスのオーナーがギターを持ってきて伴奏を受持って、歌に集中できた船津先生の声は更に輝きました。あ〜、この感じ。生ライブ感。ぶっつけ本番って後で聞いたけど、今この瞬間のお互いの呼吸を聴きながら奏でられる集中力、それは聴いている参加者たちの方にも広がって音と声のクリアな光をみんなで共有してるみたいな感じだった。なんとも和やかでした。

さて、本の内容はというと、声のメカニズムから、職業別の話し方、発声トレーニング方法、心理学、ヒーリングまでジャンルを超えて「声」全般を分かりやすく解説してありました。

驚いたのは3時間のワークショップで船津先生がこの厚みのある本の内容のエッセンスを全て押さえて伝えてくださっていたということ。

読みながら、船津先生のお話を思い出して、ふんふん、なるほど!と理解を補完することができた上に、メモしきれなかった参考図書も膨大なリストとして載っていてワークショップ受講との合せ技の効果の高まりを感じました。
ワークショップの方はトレーニングを実技でできたのと、ご一緒した参加者さんが皆さん歌う人だという貴重な場で、交流できたことは大きかったです。

これまで声に関して、本当にいろいろな先生方に出会って、それぞれ素晴らしい存在で、それぞれのご専門から教えていただいて受け取ってきたことは数知れないんだけれども、今回、「声」を総体的に体感を交えて学んだことで、自分の中の断片をふわっと統合できたような気がします。トータルで声を捉える3時間を過ごして、その時間をじっくり反芻して、私の中で分裂していた声を出す目的と欲求の本心を見つけられた。

自分がここにたどり着けたというのは、この夏の出来事としてかなりインパクトが大きくて、思い出しながら書こうにも、直し直し少しずつしか進まなくて、でも、書いておきたかった。
 
個人的な呟き。。。長く長くなってしまった。。。もしも最後まで読んでくださった方がいるのなら、ちょっと嬉しいです。お付き合いくださりどうもありがとうございました。




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