R5.1.22 書き殴り

・毎日狂っているが、数ヶ月に一度くらい咽び泣くことがあって一時的に正気に戻る
『泣くとスッキリするよね』
泣くにも理由がいる。昨日はTwitterで見た「お金のつもりで枯れ葉をくわえて魚屋に来る猫」を唐突に思い出して愛狂しさに嗚咽した
『〇〇で泣く自分が好きなんでしょ?』
自分の惨めさに泣くのはあまりにダサすぎる、でも泣きたいから猫の可愛さを言い訳にしたんだろうか?嫌だな…自分が何考えてるのかとっくにわからない。チェンソーマン2部が面白くて1部を読み返したけど普通に涙が出た。好きなコンテンツで泣くのは幸せであるね

・ポケモンは興味持てなかったけどマスカーニャが可愛くてポケモンを始めたい、でもゲーム性はアルセウスの方が楽しそうだから…とアルセウスを始めそうになった。頭が悪いのでよく迷走した決定をしてしまう。これ、あるあるのつもりで言っています

・暇だから他者からどう思われているかを気にする。最低限は気にすべきだが今の自分は過剰すぎて狂っている。力の入れ具合がおかしい。主観に戻る機会が無い。最近わずかに主観に戻ったのは沖縄でカカオが成っているのを見たときで「あっカカオッ…」くらいの声が出た。チョコレートは大して好きじゃないのだけどデイポZの記事を読んでカカオパルプとかクプアスパルプのドリンクを飲みたい。切に。ダンデライオン・チョコレートだけじゃなくてビーン・トゥ・バー系全般でちらほらカカオパルプを提供しているっぽい。そのために伊勢市にもう一度行きたい。おかげ横丁に昨年行って、俺は楽しめたんだけど同行者が終始疲弊していてその不満点を掴みきれずすれ違いが起きた

・「普通の人はとっくに他者からの目を自然体で受けることに慣れているんだろうな」と勝手に思っている。
Wiiで生まれて初めてオンラインで対戦会をしたり、ましてや録画対戦をしたときには汗が流れて服が汚れるのを感じた。ゲームとはいえ一挙一動が見られていてそれが録画されることのプレッシャー。なにか叩かれるようなところはないだろうか…自分は…?みたいな心地。野球でバッティングフォームを指摘したら意識しすぎて勝手に崩れてくれるだとか、呼吸をどうやるか考え出すと息苦しくなるだとか、そういう緊張感。
今でこそ配信行為に緊張しなくなり、それこそVRの動きすら晒すことに抵抗は無い。実際、他人から見てどうでもいいコトなのだがその他人の視点を獲得したものの今度は主観に戻れないことに慣れない。
現代っ子はオタクでもそういうことに慣れる機会が多そうで本当に羨ましい。本当に加齢が悲しいのではなくて生まれ直したいという感覚が強い。ドラゴンボールは名作だけどチェンソーマンを読みたかったんだ

主観に戻るためにどう思われてもいい相手(気を許せる相手)が必要なのだと思うが、最近は家族との会話、猫をあやすとき、精神科医との話すら手法に終止している。自分に必要なのは100%甘えられるカウンセリングなのはわかりきっているのだが…


・ジョンソンともゆき氏の作風が好きなのだが、人間観察だとか他人批評ではなくどちらかといえば「自分自身のエラーを知覚してその滑稽さを吐き捨てる行為」のように思えるし、自分にはそれが必要な気がする。創作活動をしていくべきだったなと思う
『排泄みたいなもん』
普通の人は『他人のこと言えないな、こんなことじゃまるで〇〇だよ』といった加虐を含んだ自己批判により受け入れていることのように思うが、自分は加虐するだけの自信が無い。


・AIのこともっと知りたいな…
仕事をやめてAIのこととかVRのこととか考えながら放浪しようと思う。近所に良いスーパーとサイゼがあるとこが良い。最終的にAIが俺の代わりに何もかもしてもらいたいのだけど管理職経験が無いので意思決定すら不安があるのでそれもAIにやってもらおうと思う。

・冷蔵庫を開けたら貰い物のシャルキュトリ詰め合わせがあったが(詰め物だけに?笑)朝食にハムエッグを食べたいと思ったこと一度も無いなと思いながらワインを取り出して飲んでいる。他人の「普通」が知りたい、他人の部屋が見たい、他人のパソコンが見たい。普通ヅラしているやつがコンスタントにどれだけ異常なのか確認したい



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