汚言

感情を排泄しよう


・楽しみがとんと無くなった
起きている意味が無いから寝るようになった…
ニヒルな表現をしているが加齢により自分の人生の無価値さにようやく実感が伴い寂しくなっただけだと思う

インターネットでコミュニケーションの真似事(のような表現を犬おじがしていた)すら無くなってから改めて感じるが、対人ゲームでもそのリアルな人間味から孤独を埋めていたのは間違いない。

・「楽しいってなんだっけ?」という疑問すら感じるようになった
例えば登山とかサウナとか…快適な自室では得られないストレスに身をおくことで増加するアドレナリンを味わうというのは本能的であり当然だろうと思う。
それにしても「共感しづらい楽しさ」はコミュニケーションのネタに用いづらい。例えばVRも本能的に楽しんでいたのだが、本質的にサウナと同じではあるが見た目からしてかなり自閉的である。そういうのとはちょっと違う

挙げるなら、知識も知識と結び付いたときのような快感が崇高なものだと思っているが、インターネットをしていても雑学知識こそ得られども体系的な知識は難しいな、と改めてバズツイートを見ながら感じた。
好きなツイートに「苦手な人種は『狐とかが人間に化けて頑張って社会活動をしている』と思えば許せる」みたいなというのがあり、たまに思い返しては深呼吸のきっかけとしているのだが、作文の練習氏の

だってそうでしょう?もうほとんど象な人間を見て「あなたは人間性が欠けています」とか言う人はいないでしょうし、万が一言われたとしても「いや、象なので」とキョトン顔で返せば余裕で論破できますよね。

https://note.com/_yametekure_/n/n2195966e1bf6

というくだりを読み終えてしばらくしてから、この2つは同種の発想からそれぞれ派生したものと捉えることが出来るし、つまりどちらか一方からもう一方の表現を生み出せる創造力こそ『知性』という自分の求めるツールだとは思うのだが…
今はとにかく三大欲求から順番に満たしたい。当然有料でいいから。

・本格的に汚い話になるけれども性風俗の利用をしてある程度異性に慣れるようになった。
人間自体は動く肉の塊と大差ないし、動く肉の塊を間近で見ると中々に生々しいリアリティはある。最近のスマホによる高解像度60FPSのリアルが子供の頃に見たブラウン管のホラー映画より一層鮮明でグロテスクなことに似ている。要は人間自体は肉の塊なのだが言葉と身動きにこそ人間性が宿るように思う。

三重に旅行に行った時に無理を言ってユースホステルを利用したのだが、朝にJK氏が起き抜けに急ぎ足でチェックアウトを促してきたのが印象的だった。その宿はいわゆる丁寧感があり、フロントに立っていた女性もナチュラル系の美人だったのが前述の行動の理由にしていたのが印象的だった。

もちろん同じく自分も美人が苦手であるが…その理由が何なのか理解した。
美しい人は自分と違って『持っている』。自分なんかと違い、より多くの価値ある経験をしているのだろう。その美が表すように自己研鑽もこなし、些事に囚われず、楽しい事を楽しみ、物事を素直に受け止めるのだろう。価値のある人と相対すると自身の価値の無さ(努力の放棄を含め)が浮き彫りになるようで居ても立っても居られない。
こんなこと常人なら早々に理解してなんらかの折り合いをつけているのだろうが、自分はまだ縋る言葉を見付けておらず、狐にも象にもなれないままただ立ち竦んでいる。「卑屈な振る舞いには誰も価値を見出さない」のは分かっているが、虚勢を張ったところで無神経という言葉通り、神経が麻痺した指で子猫を撫でるような恐怖がずっと背中に刺さっている。


・理性的に自殺したいなと考えるようになった
深夜、橋桁の梁にかけた縄を首にくくり、あとはちょっと足を滑らせるだけ…というシチュエーションに何度か身を置いたがご覧の通り上手くいかなかった。
単純に「ちょっと高いところから飛び降りる」という行為自体が死とは関係なく怖い。もっと間違えてボタンを押すような…
「衝動的行為の上振れによって間違えて死ぬ」という状況に身を置いて酒を一気飲みするくらいしか成功しない気がする。
それはそうと自殺にあたって先月ウォッカ1本をゆっくり一気飲みしてみた。よく覚えていないが二日酔いで済んだ。
何年も毎晩常に酒を飲んでおり、酔うことに慣れすぎてテンションが上ったりとかは無いのだがしっかりと酔っているので判断力や理性の低下は起きている。

・そういえば、料理とか普通の話をしてみたい気がする
私の話はつまらないからやっぱり無意味かな。今日も起きている意味が無くなったので寝よう。

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