R05.1.23 堂々巡り6

自分「こちらの手違いでご不便おかけして誠に申し訳ございません」

右「手違いをした本人に先に確認して。謝罪も最後に責任を負う本部の方からさせるべき。伝言ゲーム化するのを防げるし、本部としてもこちらのせいにして代わりに謝罪するのでむしろお互いその方がいい。」

自分「
(実際そのとおりなのは分かってるんだよな。こんな初歩的な手違いをするのを笑って指摘できないような関係性になったのは俺のせい、こちら側のミスなのにケツを持ってもらうのを避けて自ら謝罪するのも単なる俺のわがまま。このずれた責任感による安易な謝罪行為は、それが裏目に出てより複雑化した際に俺には責任を取れないことを弁えていない組織人としてあるまじき振る舞いであることは理解しているつもりであるが、出来ないのだ。『本部に責任を押し付けちゃえ、といった軽口には、そういうのが本部から見て余計なお世話、ありがた迷惑、責任を取る立場で無いのにこれ以上引っ掻き回すな、というニュアンスが含まれているのだが、こいつはそれを理解していない阿呆かなんなのか?』という不信感も与えていることだろう。そのとおりです。でも俺が何を考えているのかは俺自身もわからないんです。とっくに狂ってしまったんです。今年度で辞めるのは半ば公然となった上で今すぐ辞めたいんです。俺はどうあっても傍迷惑な存在でしかないのですから。
そもそもミスをした当人への指摘を避けてしまうというのも俺に原因があるのはわかってるんです。俺が他者を批判するのなんておこがましく滑稽です。優しい、という言葉が褒め言葉なんかじゃないことも、それが信頼関係なんか結ばれていない証拠であることも、それでも言及されればこの現状を認めて受け入れなければならないのにその苦痛を避けるのもまた無責任であることも、分かっていながら知らぬふりしてまた同じ振る舞いをしたことも
。わかっているんです。全てひっくるめて恥ずかしいんです。やる気がないならやめちまえ、早く死にたい、早く死にたい、それだけ。ああ。
原因を探そう。思えばほんの数年前までもっと幼かった。厳しい批判を正面から受け止める事もできなかったから空気が悪くなることを避けてオブラートに包んでもらっていた。それで他者への批判も同様にオブラートに包むことが礼儀であると勘違いしていた。それから多少成熟し(それでもまだ他者より幼いのだが)、他者を許すというのは厳しさと信頼どちらも必要であることは理解したのだが、やはり俺は自分への甘さから安易に相手を許容してしまう、でもそれは相手にとっては到底許されたと感じられるものではなく、まるで猫可愛がりのような侮りとも受け止めかねないものなのだろう。じゃあどうすべきなのか?俺は未だに幼稚さゆえにそれを真に理解することなく許しの真似事しかできず、聖地ユルサレヌやなと冗談にするのが関の山で、この先誰とも信頼関係を築けないことの証拠でしかないのだろう。ああ、支離滅裂な思考!堂々巡り!答えは自分の中になんか無いのに!この逡巡ももはや偶然意味が通っているだけの狂人の思考!今考えるべきはこういうことではないのに!恥ずかしい!見透かされている!どこまで!?どこまでだろうと関係ない!答えはここには無い!)

ですよね~。」

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