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panpanya 枕魚 感想文

「美味い魚は鮮度が命」と「絶品熟成魚」のような矛盾において、その点と点をどう結ぶかに面白さがあると思う。数世紀前は宗教、現代ではロジックが2点を結ぶ。恐らく現代人が科学や資本主義という宗教の信者になっていると言われる所以はそこにあるかもしれない。panpanyaはその点と点を結ぶのに"奇想"を用いる。

例えば、いつも宿題を忘れる生徒に怒る教師というスタート地点。池井戸潤なら教師の学内政治風景と生徒の陰謀、ナイツなら生徒側の言い間違えと教師の訂正、と言った経路を辿り終着点にたどり着きそうだ。

しかしpanpanyaはこうだ。宿題を忘れた生徒はバケツを両手に持ち廊下に立たされた。次の休み時間に主人公が感想を聞くと、彼は孤独感と罪の重さを感じれて宿題を忘れた価値があったと答えた。
ここには常識は働いてない。全てはpanpanyaの奇想が織り成している。

科学は点と点を真っ直ぐ結ぶが、panpanyaの奇想は点と点の下に鼻と口を描いて顔にする。驚くことにその奇想にはリアリティのエッセンスも含まれているので、その似顔絵はきっと誰かに似ているだろう。

このような話は小説や映画だと現実が奇想の邪魔をする。アニメだと受け手頭で奇想が広がりにくいかもしれない。漫画であるべき作品とも言える。
つまるところ、panpanya作品は不思議なあの子の頭の中だ。現実に起きないであろうことがいくらでも起きるのに妙な現実味はある。現実と空想の境目が溶けている。
その世界は知性と幼稚性を兼ね備えた楽しいところだった。また覗きに行きたい。

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