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ぽい人間はぼくになりたい。vol.8

僕は「ぽい人間」だ、ものをよく捨てる人ではなく○○っぽいという意味。全てにおいて○○っぽいらしい。部屋は無印良品っぽいしコーヒーを淹れる仕草はどこかの有名な珈琲屋っぽいらしい。つまるところ、僕は誰かっぽいないし何かっぽいのだ。

23歳になると周りがちらほらと結婚しはじめる。親もきっと喜ぶだろうし恐らく当人達も幸せなのだろう、いいことだ。

結婚する前には互いの親に顔を合わせているんだろうけど、どんな感じだったのだろうか。恋人さえ親に会わせたことのない僕は到底予測がつかないが、面倒くさそうなのだけはわかる。楽しみイベントのひとつと言うよりも期末試験みたいに乗り越えなくちゃいけない壁なんだろうな。

いつか僕も相手の親に会いに行く日が来るのだろう。既に億劫になってきている。どおせ年収とか趣味とか今までどんなことをしてきたのかとか出会いとか聞かれるんだろうな。このご時世に「娘はやらん!」など言う親はそうそういないだろう。相当モテてきている娘でもない限り人を選ぶ余地もないし、そもそもそんな人と付き合ったことはない。

「片思いの人を嫌いになるほど相手のことを知らない」ってなんかの映画で言ってたんだけど、正しくそうだなって。忘れるわけじゃないんだけど更新していかなきゃって思う。完成があるもんじゃないからあの時が正解だったなって後悔するんだけど、あの頃の自分は驚くほど子供っぽいから戻りたくない。もう親にお見合いセッティングしてもらえばいいか。

お見合いって実は優れた婚約システムかもな。お見合いを非人道的とか言う人もいるけど、実は恋愛の方が非人道的なものだなと思う。恋愛は人間らしくある活動ではなくて、人間らしさをただ邪魔するだけ。結婚なんて僕が僕らしくあるためになくて、ぼくが僕になるために結婚という環境があればいい。10代20代に人生分岐を決めさせるんじゃなくて、誰かが与えてやればいいんだよ。そしたら未来の僕は人生に意味を与えるんだろうな。

でも、好きな人と結婚したいって感情は何なんだろう。誰かにそう思わされてるのかな。

あー分からない。てか、僕って誰だっけ。

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