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歴史考察#134『登り窯で見た戦争のなごり』

こんにちは、véritéです。
昼休みに「五条若宮陶器祭」に出向いてきました。

「五条若宮陶器祭」は、五条坂に多数の陶器の露天が並ぶ陶器市です。
京都・五条坂一帯は、かつて陶工が作陶に励んだ場所であり、清水焼発祥の地。

また、五条坂のほぼ真ん中にある若宮八幡宮は別名「陶器神社」とも呼ばれ、美と若さの神様・神功皇后をお祀りしているそうですが、「身も心も美しく」と書かれた看板の横には大きな姿見が!!

さらに「美しさ」に拘る神社のせいか、狛犬も虎のようにシュッとしていました^^

若宮八幡宮の狛犬

それはさておき、今回わざわざ昼休みの短い時間に出向いた目的は「五条坂京焼登り窯」見学です!!

「五条坂京焼登り窯」の公開案内

「五条坂京焼登り窯」は、明治42年(1989)に、京都陶磁器合資会社が粟田焼の素地を焼成するために築窯。

こちらはこれまで京都市が所有していましたが、普段は一般公開されていませんでした。(塩漬け~)

それが今回無料公開!!これはいくしかないと✨

まず「登り窯」とは、斜面等の地形を利用し、重力による燃焼ガスの対流を利用して、炉内の各製品を焼成時に一定に高温に保てるよう工夫された窯の形態ですが、「五条坂京焼登り窯」は、盛り土で形成され、最下部の火袋にいたっては地下に掘り込まれていました。
(全長19m、前幅5.5m、全高6m、9つの焼成室)

窯は鑑賞するものではなく、陶器を焼く場所ですが、登り窯は窯の形態そのものが美しいアートのようでした✨

特筆すべきは、こちらの建物の外に置いてあった不思議な形の陶器です。
これは何かと調べてみたら「マル呂吸収塔」というものだと。

マル呂吸収塔

マル呂?吸収塔??
さっそく「マル呂吸収塔」について調べてみますと、思わぬ物語が!!

まず「マル呂吸収塔」なるものは、太平洋戦争中に日本陸軍と日本海軍が共同で開発を進めたロケット局地戦闘機「秋水」の燃料「過酸化水素」の精製器の一部であることがわかりました!!

「過酸化水素水」は金属を腐食させるため、清水焼の窯元に部品を発注して造られた物なのだそうです。

ちなみに、こちらでは陶器の手榴弾も製造し、その多くは立命館大学国際平和ミュージアムに寄贈されているのだそう。

「五条坂京焼登り窯」が陶器のみならず、戦争のための燃料精製器まで造っていたとは驚きでした!!

そして「マル呂吸収塔」は「戦後破壊しようとしたが硬くてできなかった」とは、陶器おそるべし!!

美しい陶器が再び戦争に利用されないこと、そして、この「マル呂吸収塔」が「登り窯」とともに、次世代へも遺され、語り継がれていくことを強く願います。

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