歴史考察 #56 京都・伏見のお寺に巨大な梵鐘が眠っていた⁈
「月桂冠大倉記念館」を目指す道すがら、大きなシュロの木とともに「会津藩駐屯地跡」と掘られた石標が目に留まりました。
福島出身の私としては感慨深いものがあります。
さっそく山門の中を覗いてみますと、そこは、お寺ではなく、「児童福祉施設」と書かれていました。
調べてみますと、1990年(平成2年)、お寺は老朽化のために取り壊され、現在は大銀杏・鐘楼・山門のみが遺されたとありました。
取り壊しを残念に思いながら、山門の中を見渡しますと、子どもたちの遊具の奥にひっそりと佇む「梵鐘(ボンショウ)」が目に飛び込んできたのです✨
それは残念なことに、網をかけられていたのです...😢
ちょっと切ない気持ちになりながら、「月桂冠大倉記念館」を見学後、そこから目と鼻の先にある「辨財天長建寺」を訪れました。
「長建寺」は、京都で唯一水の神様・弁財天を本尊とするお寺とありました。
「長建寺」は、赤い竜宮門が目をひきます。
早速山門を入りますと、左手に巨大な「梵鐘」が見て取れました。
しかしそれは、鐘の上半分しか見えないのです。
いったいこの「梵鐘」は何なのか?
不思議に思い、説明書きを読みますと、このように書かれていました。
「梵鐘」はかつて目の前の川をゆく「三十石船(さんじっこくぶね)」に時を知らせる役割であったと。
ちなみに「三十石船」とは、京都-大坂間の淀川の水運で主役的働きをした川船のうち,、最も小型の 30石積みの和船の総称です。
そんな「三十石船」に時を知らせる「梵鐘」は、太平洋戦争時、大砲づくりの材料として軍へと共出され、建物だけ保存される事となったそうです。
そのため現在は「おみくじ舎」として利用され、「鐘楼」としての役割はないという事でした。
とはいえ、なぜこのような形で残しているのでしょうか??
お寺の梵鐘にしましても、教会の鐘にしましても、共通するところは、「鐘の音」から出される周波数(振動)。
あのピタゴラスは、2500年前 「病気は音で治療できる」と主張していたように、昔の人々は身体によい周波数(振動)を定期的に鳴らしていたのではないでしょうか?
いずれにしましても、伏見桃山で見かけた2つの「梵鐘」は、そうした役割どころか、その存在すら隠されているという哀しい現状が見て取れました。
実に勿体ないと思うのは私だけでしょうか?
つづく。。。
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