DEATH STRANDING プレイ後感想

はじめに


・プレイ経緯
浪人中にドラマ版ハンニバルとマッツ・ミケルセンのファンになり、ちょうどその頃デスストのトレーラーを視聴し「マッツも出てるしダークな世界観好きだし、このゲーム絶対プレイしたい…!!」となる。3年の時を経て(PS4本体をやっと買ったので)プレイできました。金欠の学生が3万円出すくらいにはプレイしたかった。

※ここから先、ネタバレおよび個人的な感想を含むので注意です!!









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プレイ後感想


  • 世界観、画面の湿度や暗さ、キャラクター、映像力、映画並みのストーリー、全部「好き」の塊でした。

  • 一番最初K1に向かうとき、スタッフロールが画面に映り、音楽が流れ始めたときは興奮しました。何らかの快楽物質が出ていたに違いない…。映画の没入感とゲームが今から始まるぞというワクワク感、たまらなかったです。全編通じて、音楽の使い方というか音楽を流すタイミングが天才的だと感じました。

  • キャラクターにそれぞれストーリーがある。【人生がある】があると明確に感じました。魅力的なだけではなく、全員に悲しさと背負うものがある。言葉で表すと薄っぺらいんだけれども、本当に生の重みがある。2.3日はそのキャラクターのことが頭から離れないような重さでした。

  • 色々言いたいことはあるが最高すぎて、言葉を尽くしても表現できない。ゲームをプレイしたときに感じた衝撃や体験が言語化で失われてしまうような気がするので、やはり自分でプレイしたよかったと思っています。

疑問点

疑問点というよりは、自分がただ解釈できていないことなので書き留めておきたいというだけです。色々な人の解釈が聞きたい…こじつけでもいいから…(本当に気になるのでコメントやTwitterの引リツで教えて頂ければ幸いです)

  • ヒッグスがビーチでの最終戦で「ビーチで死んだらさすがに帰還者でも死ぬ」と言っていたが、そもそもそれはなぜなのか?つまり、「帰還者は現世では死んでもビーチに行けるが、ビーチで死ぬと現世に戻れない」という理由はなぜ?

    • 生と死の境目の世界であるビーチで死ぬと、死の世界に行ってしまいに二度と戻ってこれないため?

    • ビーチ…というかビーチの浜辺で死ぬと結び目(海中)に入れないからビーチに留まり続けてしまって死亡カウントされるということ?

    • 帰還者サムはビーチで(再度)生まれた生命であるため、ビーチで死ぬことで本当に死んだと認定されるため?

  • ママーに腕を掴まれてもサムの腕に痣が残らなかったのは「ママーは死んでも魂と肉体が通常のように分離せず臍帯で繋がっていたから」ということだが、普通の人間は魂と肉体が一体化した状態であるはず(&フラジャイルのようにサムの腕に痣を付けられるはず)なので、これは「ママーは現世に肉体を残しながらも魂は臍帯で肉体外に存在していたため、サムの身体に痣は残らなかった」という意味?

    • サムの接触恐怖症は性愛的なものへの拒否+半座礁体の自分が非帰還者の人間と対消滅を起こす可能性があるための拒否、という説をTwitterかブログかでお見掛けしました。確かにママーは肉体的に死んでいるので性愛的なものは関わりのないことだろうし、お互い生身の人間というわけではないので痣にならなかったという説もある

  • 子を実験に無断で使い、挙句の果て殺したブリジットのことが死ぬほど憎いはずのクリフが、ビーチでサムを蘇生したアメリを見て、何も言わず自ら海に入っていった(=死の世界へ行くことにした)のはなぜ?諦められるはずがないのに、諦めたようにしか見えないので理由を知りたい

    • 死んでしまった自分が子を救うのはもう無理だが、アメリが蘇生してくれたため、子をアメリに託すことに決めた?それにしても、ブリジットとアメリが別人(別人格というか、全然別のモチベーションで動いているということ)を認識していないと気持ち的にかなり厳しい気が…

  • 上記質問に関連して:ダイハードマンが「大陸を繋ぎ直す」と伝えるとクリフはダイハードマンを許したということだが、これはなぜ?クリフは自分が「いつも崖っぷちだった」ということから、大陸を繋ぎ直すことで自分のような人間を繋いであげてほしかった?(この二人はもともと信頼関係があるのでダイハードマンを許す」という事象自体に対してはこの理由でも差し支えない気はする。)ただ、クリフが「崖っぷち」であるということと、それを理由にクリフがサムに「希望を繋ぐブリッジになってほしい」と願ったり「大陸を繋ぎ直す」ということで全てを許すことが自分の中で繋がらない…

    • 崖と橋、棒と縄でクリフとサムが対比されているのは明らかだが「そもそもなぜクリフにとって、崖より橋、棒より縄、分断より繋ぐことが『良きこと』であったのか」という部分が自分には解釈できなかった

  • タールに肉体が沈むとBTの魂は死の世界に行けずビーチに留まり、現世に出現して生者との交わりを求めるようになる(=手形や対消滅)という認識だが、タールはどこと繋がっているのか?

    • ビーチ?ビーチに肉体があるとビーチにいる魂が「自分が生きているか死んでいるかわからない」状態になってビーチをさまようということ?

    • あの世?肉体は現世で焼却され、カイラル物質になって天空に昇っていくので、本来の行先はビーチだとも考えられる。そこで魂と合流してあの世に行くのが普通の死に方なのだとしたら、あの世に肉体だけ先に行ってしまうと魂がさまよってしまう?

  • (これはとても独自の解釈ですが)世界の階層として、天空から地下への順に、ビーチ(=天空)>ビーチの海中(北米大陸の空)>現世(=北米大陸)>あの世(=地下)、という階層になっている?

    • 一応の理由:アメリのビーチからは地球や天体が見えるので天空にビーチがある/座礁地帯やカイラル物質に浮力が働いているのは、そこがビーチの海中にあたるため/あの世が地下にあるとすれば、タールに肉体が沈んでいくということに説明がつく

      • 気になる点①:ビーチの浜辺部分とビーチの結び目(=ビーチにおける海中)の違いがよくわからない。結び目が北米大陸の空に等しいと仮定するなら、ビーチの浜辺部分って何なんだ?帰還者がビーチの浜辺部分で死んだら復活できないということにも何か関連している?(ビーチの浜辺部分は世界の階層のどこにも位置しないため、ビーチの浜辺部分で死ぬとダメとか?)

      • 気になる点②:「タール=あの世への道」とすれば、サムがタールから現れるBTに掴まれることへの説明がつかない。←BTはビーチから現れるのでは?

        • BTの没収された肉体だけタールから現れている(ゲイザーよりも確かにしっかり形もあるし)という説はあるが…

おわりに

とても良い作品すぎて、気になる部分が書き出したらたくさん出てきました。自分ひとりで考えるには限界がある。
※作品の内容をネタバレしすぎなど、製作者側様に何か不都合ありましたらご連絡ください。



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