オーラとは
オーラとは何だろう。
昨日六本木に「バチェロレッテ シーズン1」の出演者だった福田萌子さんが来ていた。
イベント開始前から会場に溢れる人だかりと熱気。
そして待ちに待った彼女が登場した瞬間。
「萌子さんだ!」
「やばー!」
「めっちゃ綺麗!」
観衆のテンションは最高潮に。
きっとみんな生の萌子さんを目の当たりにし、彼女の「オーラ」を感じているのだろう。
確かに彼女には「オーラ」と呼ばれるものがある、ような気がするが。。。私が彼女に感じる「オーラ」は萌子さんを目の前に泣き出してしまう人が感じる「オーラ」と果たして一緒なのだろうか。
「オーラ」の正体って、一体何?
ざわめく人々を横目に、私はそっと彼女の観察を始める。
ハイライトを入れたロングヘアーに、風さえも味方につけるようなヘアセット。
ツヤのある肌に白い歯。
番組内でも着用していた白いスーツは、誰にでも着こなせるものではない。
そのスーツのすき間から除くお腹に、うっすらと入った縦の線。
休憩に向かう瞬間も崩れない、ピンと伸ばした背筋。
ファンからのプレゼントをとっさに受け取る時の美しい所作。
彼女が普段どんな意識を持って日々の生活を送っているのかが、そこかしこから垣間見えるような気がした。
自分で自分をどう思っているか、というのは目に見えない幾重もの空気になって、知らず知らずのうちに本人を包むのだろう。
私もあなたも、自分では気づいていなくても、きっとそういう空気に包まれている。
誰も見ていないところでどう振舞っているか、というのは、大勢の人がいる場でのふとした表情やしぐさにも現れる。
後はオーラを感じる側の人の条件。
萌子さんを知らない人と、彼女にずっと憧れていた人ととでは、彼女の一挙手一投足の輝きが数倍違うだろう。
つまり「オーラ」というものは程度の差はあれ誰でも持っているもの。
その差が何で決まるのかと言うと
①外見の完成度
②自分で自分をどう思っているか、という意識
③その人に憧れていた人が初めて本人を目の当たりにした時
の条件が揃った時に最大となるのではないか。
決して一方通行で作られるものではない気がする。
バチェロレッテ シーズン2が始まった。今回も楽しみだな。
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