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コロナの時代の音楽家—ジャン・チャクムルTVインタビューから (3)


Q: 音楽家の孤独について話したところで隔離の話に戻りますが、大変に予定の詰まったコンサートツアーがありましたね。ところが今は、私たち全員が何か月も家に籠っています。そこで気になるのですが、この隔離の日々はあなたにどう影響しましたか?

A: この隔離期間の結果として、現時点で8月末まで全てのコンサートが、残っているものもまだありますが、ほとんど全てのコンサートが中止となりました。おそらくコンサート生活が元の状態に戻るには、かなり長くかかるでしょう。当然ながらこのことは、現実として受け入れざるを得ませんでした。コンサートの通例よりずっと正当な理由で。つまるところそこは、コンサートホールやオーケストラというのは、ウイルスが広がるのに最高の環境を作っているわけですから。芸術家として私たちは、この事実とともに生きなければなりません。一方で、この隔離期間にはこのようなプラス面がありました。クラシック音楽の認知度と音楽ビジネスにおける存在というものは、多忙であること、ひっきりなしにコンサートを開くことに支えられているわけですが、これについて、現在の隔離期間に入ったばかりの頃に、ギドン・クレーメルの「音楽家への10の命令」*1という論考を読んだんです。その論考ではまさにそのことに言及してありました。「クラシック音楽の世界で存在するためのゴールデンルールは、絶え間なく人の目に留まること、常に何かをしていること」つまり、コンサートであれレコーディングであれ、どこかから常に評判を得ていること。この隔離期間は、そのプロセスをリセットしました。ですから、ある意味では音楽の真髄に戻るチャンスが手に入ったのです。突き詰めれば音楽というのはきわめて個人的な芸術なので、言うならば、家で自分自身と一対一で残された時、実際に私たちは音楽に対しどのようにアプローチしているかを自ら観察すること、独りきりで自分自身のために演奏すること、そしてあの充足感を注意深く追いかけ評価することを可能にしたのです。そのためこの期間は、芸術面では、まさに音楽界が必要とするものそのものだったのかもしれません。

Q: 先日、音楽ライターのゲストと、隔離が芸術に、音楽にどう影響するかを話した時、彼は、聴衆と一箇所に集う、人と一堂に集まることの大切さについて話してくれました。この閉じ籠りの状態はたぶん音楽家の演奏の仕方にも影響を与え、後に作る歌や作曲にも影響を与えるだろうと。この点からお聞きしたいのですが、あなたは演奏の仕方に違いを感じますか?あるいは、聴衆の前に立つことは技術の向上のために必要だという人もいますが、あなたはこれについてどう考えますか?あるいはまた隔離生活を演奏しながらどう過ごしていますか?

A: 絶対に、聴衆の前に立つというのは、完璧に別の心理で、別の準備を必要とするものです。特にこの、私たち全員が置かれている完璧主義というプレッシャーとともに、絶え間なく聴衆の前に出なければならない時、私たちはもっとはっきりしたエッジのある、認められやすい形での演奏を心掛けます。そのように演奏するのが単に安心だからです。よってこの隔離のプロセスは、必ず音楽家の演奏に影響を及ぼしていると確信しています。ですが、その違いをコンサートホールで体験するかどうかについては、それほど確信が持てません。あのコンサートの経験と記憶というのは、そう簡単に消えるようなものではないからです。なので私たちがコンサートに復帰した時、おそらくは同じ演奏スタイルで同じ準備の仕方に否応なく戻らなければならないでしょう。
作曲については、たぶんクラシック・ミュージックよりポピュラー・ミュージックの方によりその影響を見ることができると思います。特にクラシック音楽の作曲家というのは独りで仕事をする人たちで、独りになることを重視する人たちです。自分が知り合う機会を得た作曲家たちもそうですし、本で読んだ作曲家たちも、一般的に作曲の過程をほとんど孤独で隔絶されたものと定義づけています。したがってクラシック音楽に一体どれだけの影響があっただろうと考えるのです。ポピュラー音楽には絶対にもっと大きな影響があるでしょうけれど。それと、少しは音楽家の音楽に対するアプローチによっても違ってくるだろうと思います。グリゴリー・ソコロフというピアニストは例えば、人混みを避けるその性格でもって名前が挙がることで有名ですが、したがって彼にとって今の環境というのは、単にその係数が上がっただけに過ぎないでしょう。しかし聴衆とともに生きる芸術家にとっては、例えば昔の話をするなら、ホロヴィッツやルビンシュタインについて語ることが可能ですが、聴衆とコミュニケーションを取ることで生きている人々にとっては、これははるかに大きな変化です。

Q: 隔離中、私たちはオンライン上で過ごし、オンライン上で音楽を聴いています。ソーシャルメディアでは多すぎるほどのオンライン・コンサートを目にします。解釈者として、ソリストとして、オンライン・コンサートについてどうお考えですか?

A: オンライン・コンサートはこれまでまったくやっていません。ひとつふたつ自宅で収録しましたが。2つですね、今までやったのは。ですが、オンライン・コンサートはまったく開いていません。なぜなら、結局のところ、聴衆の面前に立つことは全く異なる経験だからです。ライブ・パフォーマンスを現実化するものは、聴衆の存在です。それ以外に収録状況について話しますが、収録状況についても、おそらく自分にとっては恥じ入りたくなるアプローチですが、収録時における私の音楽に対するアプローチというのは全く異なっています。もしそこで腰を落ち着けて何度も繰り返し弾くことができるなら、そして弾いたものを聴きなおして考え直すことができるなら、アプローチは全く異なったものになります。そんな訳で、聴衆なしに聴衆に向けて演奏することの難しさは知っています。それから、こんな問題もあります。音質です。私たちの自宅にはほとんど、音楽を反映する、良質な音を拾う機器は置いてありません。それからまた、このようなプログラムもあります。オンライン・コンサートを前にして、私には少しばかり一時的な解決のように見えるのですが・・・

(話に割って入って)
Q: 一定の音質が保証される必要性が、クラシック音楽にとっても欠かせないものであればですね。

A: 絶対、絶対にそうです。それもあって、オンライン・コンサートは一時的な解決法のように思えるのです。さらに言うなら、コンサートホールに取って代わることができるとは、実をいえば、あまり考えられません。今のところはこのような状況ですが、おそらくコンサートが再開すれば、いつ復活しようと、おそらくコンサートホールは不可欠になるでしょう。

Q: コンサートの予定について、少なくともご自身のプログラムに関し、いつの予定が入っていますか?

A: (※スケジュールは変更されている可能性が高いため割愛します)
先月、ARTE TV用にライヴコンサートの収録を行いました。先生であるグリゴリー・グルツマンと別の生徒であるアリーナ・ベルクと一緒に室内楽コンサート*2という形でです。おそらくその形式で密に実施できるのではないかと。コンサートが現実に秋に向けて少しずつ再開しなければですが。芸術家が移動し、空っぽのホールでプロ用機器を用いて収録を行う方が、より可能性があるように思えるのです。

(この後、芸術家に対する政府の支援や経済的援助、音楽教育の話題が続きますが、今回はここまでとさせていただきます。)

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* 1: Gidon Kremer: "Letters to a Young Pianist " (2013)の中の一章

* 2: 2020年4月29日にワイマール郊外のSchloss Ettersburgで行われた、ジャン・チャクムル、グリゴリー・グルツマン、アリーナ・ベルクによる3台のピアノによる素晴らしい室内楽コンサートは、以下のリンクで視聴できます。


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