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若き思想家―ピアニスト、ジャン・チャクムル(10)

(※以下の翻訳は、「アンダンテ」誌の発行人・編集長セルハン・バリ氏の許可を得て掲載しています。また、質問に相当する部分は必要に応じ要約してあります)

――あらゆる時代、あらゆる作曲家を制覇するという点で右に出るものがいないピアニストがいます。特にロシアの音楽院出身のピアニストたちは幅広いレパートリーを持っていることで知られます。ロシアの音楽院出身でなくとも、我が国のピアニストでいえばイディル・ビレットがこのグループに入ります。また例えばアルフレッド・ブレンデル、あるいはまた我が国のファズル・サイのように、広いレパートリーをもつ代わりに何人かの作曲家について熟練する道を選んだピアニストを見ることもできます。
それではジャン・チャクムルは、どのような ”レパートリー構築についての理解” をもっているのでしょうか。”死ぬまで飽きずに弾き続けよう” という作曲家や ”何があろうと絶対に弾きたくない” という作曲家や作品はあるのでしょうか?

「私たちには、解釈者としてどの作曲家もできうる限りよく理解し、技術面での困難を乗り越える義務があると考えています。よって、“絶対に弾きたくない” という作曲家は一人もいません。たぶん何人かに対する傾向を自問することはできるかもしれませんが、その前に演奏できるよう何年も努力するだろうことは確信できます。現時点で自分のレパートリーのベースを成している特に古典派とドイツの初期ロマン派の作曲家は、おそらく私が生涯を共にする作曲家となるでしょう。当面はショパンの練習をしていますが、機会を得次第、ブラームスとラフマニノフにも力を傾けたいと望んでいます」

――ジャン・チャクムルが読書、特に中欧文学と相性がいいことは知っています。アンダンテ誌に寄稿する論考の文頭と文末に彼が挿入する文学的引用は、この分野に対する関心の表れです。音楽と絵画の間には歴史を通して親密な関係が結ばれてきたにもかかわらず(例えば、音楽を主題とした絵画や、音符によって絵画のように描き上げられた交響詩)歴史を通して ”重要” ということのできる “音楽を奏でる画家/絵を描く音楽家” を見ることができないことを、常に不思議に思ってきました。絵画芸術は、音楽家が筆を動かすことのなかった分野として残されたのです。ジャン・チャクムルはこの “一般法則” を破っているのかどうかが気になりましたが、受け取った答えに私は驚きませんでした。

「絵画に対する才能はまったくありません。恥ずかしながら白状しますが、絵画芸術と自分との関係は、美術館に行くのが好きで芸術に関心がある人のそれを超えるものではありません。したがって自分が感動した絵画のいくつか――まず頭に浮かぶ例は、ヴァン・ゴッホの「雷雲の下の麦畑」* という絵です――にどうして自分は心を動かされるのか、説明することはできないのです。これは大きな欠点で、今後数年のうちにもっと時間をかけて考えなければならないテーマです」

――ピアニストは、コンサートに自分の楽器を持ち込めないために不運だと見なされています。これをまったく問題と捉えず、手元にあるもので満足しようとするピアニストもいますが、あるもので満足せず、条件を厳しくするピアニストもいないわけではないでしょう。アルフレッド・ブレンデルのように神経質さで知られる人は、会場の調律師と何時間も、それこそ望みの音が得られるまで打ち合わせます。クリスチャン・ツィメルマン、あるいは昔のピアニストでいえばアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのようなピアニストは、会場附属のピアノも調律師も信用せず、何年も手放すことのなかったピアノをコンサートに運ばせています。彼ら以外にも、ピアノのブランドを区別するピアニストに言及することはできます。スタインウェイの占有的な役割と音色に異を唱える偉大なピアニストの中には質の高い別のブランドを選択している人がいるのを見かけます。例えばリヒテルのヤマハやバドゥラ=スコダのベーゼンドルファー、ヒューイットのファツィオリに対する執着や、シフが古いドイツ製のフォルテピアノを好むように。いくつかの側面から私がアルフレッド・ブレンデルによく似ていると考えるジャン・チャクムルは、果たして達人のピアノに関する過敏症に共感するかどうか関心があります。

「コンサートでは高い頻度で、コンクールで選んだシゲルカワイというブランドのピアノを弾きます。自分の演奏スタイルに一番合うピアノはこれだと考えています。一方で、舞台で頻繁に見かける一流ブランドのハンドメイドピアノの品質と職人技は議論の余地がありません。あるブランドが他のものに勝るという考えの根底には、客観的な要素というより、大抵は個人的嗜好・選択があると考えています。残念ながら、最高級ピアノはすべて、ほぼ似通った原則で作られています。したがって、19世紀に起きた類を見ないほどの多彩なピアノ市場について今日言及することは大変難しいことです。現代のコンサートピアノがテーマであれば、区別を生む一番重要な要素はピアノ技術者だと私は思います。ひとりの技術者が手持ちのピアノをいかに変えさせることができるか、これは驚嘆すべき職人技です」

「自分のピアノをコンサートからコンサートへと運ぶピアニストたちのことは、羨ましく思いつつ眺めています。未知のピアノに慣れなければならないという悩みがないのは、一ピアニストにとって大変な贅沢ですから。その一方で、もう一つ別の真実として、これは見方のバランスをとってくれるはずですが、私たちが弾くそれぞれ異なるピアノは、毎回、演奏者に異なる形でインスピレーションを与えてくれるのです。このことはコンサートが異なる色彩を帯びるために大いに役立ってくれます」

※原文でチャクムル君は「嵐の夜の畑」と表現していますが、おそらくこの作品と思われます。「荒れ模様の空の麦畑」というタイトルで呼ばれることもあります。ゴッホ最晩年/没年(1890)の作品であり、チャクムル君が全般的に死を前にした音楽家・芸術家の作品に対して特別な感受性を発揮していることがここでも伺えます。

ゴッホ 荒れ模様


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