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若き思想家―ピアニスト、ジャン・チャクムル(6)

(※以下の翻訳は、「アンダンテ」誌の発行人・編集長セルハン・バリ氏の許可を得て掲載しています。また、質問に相当する部分は必要に応じ要約してあります)

――ジャン・チャクムルに授与された褒賞のひとつで、おそらく一番重要なものは、クラシック音楽界で定評のあるレコード会社のひとつ、BISレーベルのもとでレコーディングされた素晴らしいCDです。チャクムルの優勝から時をおかずして世界市場にリリースされたこのCDを、私はレコード業界に長年精通した者として称賛とともに歓迎しました。BISの創設者であり、音楽の世界ではキツネのごとく鼻が利くことで知られ、その嗅覚によって、卓越したピアノの才能をもつエフゲニー・スドビンを音楽の世界に送り出したことで知られるロベルト・フォン・バールが、ジャン・チャクムルの並外れた音楽家としての個性に感銘を受け、それがためにレコードを一刻も早くリリースするよう骨を折っただろうことは想像に難くありません。この魅力的なレコードには、国際的なクラシック音楽メディアに執筆しているライター達から高い関心と称賛が寄せられており、チャクムル自身もルクセンブルグ、ベルギー、ドイツ、そして特にフランスからきわめて好意的な評価が届き、またコンサート後には聴衆からも感想をもらい大変幸せに感じたと語っています。
ではBISでのレコーディングについて、収録曲は誰がどのように決めたのかを訊くことから始めたいと思います。

「収録する曲はロベルト・フォン・バールと一緒に決めていきました。これは私にとって初のレコーディングになることから、できる限り異なるスタイルの中から選び、曲数も多くするよう勧められました。それ以外の基準は、BISのカタログの中でまだレコーディングされていない曲目で、というものです。ふたりとも、頻繁にレコーディングが行われ、新しく発売されるほとんどのCDに収録されるような一般的な曲目からは距離を置くべきという立場でした。とはいえ、レコーディングの日程がコンクールから間もなかったため、新しいプログラムを準備する時間もありませんでした。そこで、その夏にリサイタルで演奏したプログラムとコンクールのプログラムの中から、互いの曲が意味ある全体を成すようなアンソロジーの形に決定したのです。このレコーディングは浜松国際ピアノコンクールがきっかけになっているので、佐々木冬彦氏がこのコンクールのために作曲した「サクリファイス」というタイトルの作品も収録することに決めました」

――初めてのレコーディングでどのような感情が沸き起こったか、収録スタジオではどのようなことを感じたかについて、チャクムルはこのように語っています。

「レコーディングというのはものすごく楽しいですね。トーンマイスター*のインゴ・ペトリと一緒に素晴らしい作業環境を作り出すことができましたし。ふたりの音楽的見解やレコーディング・プロセスに対するアプローチが近かったのです。
レコーディングには4日間が当てられ、浜松アクトシティのコンサートホールをレコーディングスタジオとして使いました。これはとても贅沢なことです。初日にかなり集中して作業を行い、曲目の半分までレコーディングを終わらせました。残りの日はもう少しリラックスしたテンポで過ぎていきました。収録する作品を以前にコンサートで演奏したことがあったことが、私たちの作業をラクにしてくれました」

――クラシック音楽のレコーディング分野では20世紀後半に「グレン・グールド現象」が起きました。キャリアの後半になってコンサート環境を捨てレコーディングスタジオを選んだグレン・グールドの精神世界・思想世界に共感を抱いたかどうか、レコーディング・キャリアのスタートラインに立ったばかりのジャン・チャクムルに尋ねようと思いました。

「その質問に私が答えるのは、今の時点では不可能です。今までにCDを1枚録音し終えただけなのですから。ただ、純粋にアイデアとして、一曲を満足がいくまで繰り返し演奏できるというのはとても魅力的です。コンサートホールがもたらす自然さというのはあると思います。ですが、私が思うには、コンサートホールで開くコンサートというのは、その瞬間に聴衆との間に生まれるコミュニケーションと合わさって命が宿るのであり、一般的に私たちの音楽的アプローチを最良のかたちで映し出すものではありません。コンサートホールで度を越すのはひとつのリスクですが、レコーディングスタジオで作品をひどく単調に、メトロノームのように演奏するのもまた別の危険性があります。レコーディングスタジオが約束する完全無欠さは、実際は毒入りリンゴです。あの完璧さをとことん追求するとき、実は作品のエッセンスを逃してしまうリスクを冒しているのです。インゴはそれを防ぐため、作品をほとんど毎回、一切パートに分けたりせず最初から最後まで通して録音するよう求めました。このアプローチはかなりよい結果をもたらしたと言えると思います」

*トーンマイスター(Tonmeister)とは、1949年よりドイツの音楽大学で設置がはじまった、録音・音響技術と音楽的知識・センスをもった音の専門家、「音に関するマスター=トーンマイスター」を養成するトーンマイスターコースを修了した、音楽プロデューサー、ディレクター、バランスエンジニアの総称とのこと。
http://www.jas-audio.or.jp/jas_cms/wp-content/uploads/2016/03/201603-003-013.pdf
https://synthax.jp/tl_files/newsletter/160725/


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