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ジャン・チャクムル「サバフ」紙インタビュー(1) 正しい道を歩んでいる証


2021年1月20日付で発表されたICMA(国際クラシック音楽賞)Young Artist of the Year(年間最優秀若手アーティスト賞)受賞*1 を受け、トルコ国内のメディアによるジャン・チャクムル君へのインタビューが続いています。

本日ご紹介するのは、2021年2月7日付でトルコの大手新聞サバフ(Sabah)紙に掲載されたインタビューです。過去に行われたインタビューの内容と重複する質問も中にはありますが、削除はせず全文を訳して掲載いたします。

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- あなたのICMA賞受賞で、私たち皆が誇らしく思いました。おめでとうございます。ICMAの年間最優秀若手アーティスト賞は、あなたにとってどのような意味をもちますか?

どうもありがとうございます。周囲の人やソーシャルメディアを通して受け取ったこのサポートには大変感動しました。芸術における賞というものは、絶対に目的となるべきものではないと私は思います。CDのレコーディングやコンサートを開く目的は、称賛を受けることではなく、ステージに立つ人よりも遥かに崇高な真実である音楽を生かし続ける努力であるべきです。音楽とはつまるところ、聴いてもらうことによって存在する一芸術分野です。この観点から、このように高い評価を受けるということは、間違いなく、「あなたは素晴らしい道を歩んでいますよ」と語りかけ、自信を与えてくれる力になります。


- どこで、どのような家庭で育ちましたか?あなたが音楽に至るまでの物語を簡単にまとめていただけますか?

アンカラで、音楽であればどんな種類でも、といっても特にクラシック音楽に関心をもつ家庭に育ちました。大学時代(の前)まで中東工科大学(ODTÜ)発達財団高校で学びました。赤ん坊の頃から興味深くまた注意深く音楽を聴いていたそうです。しばらくして自分で楽器を弾きたいと希望したため、家族が自宅に近い音楽教室に申し込んでくれました。レイラ・ベケンスィル、そして彼女と並び、少ししてアイシェ・カプタンからピアノを習い始めました。中学の頃、少しずつ音楽を職業にしたいという希望を自覚するようになりました。この頃エムレ・シェンとのレッスンを始めました。同じ頃、外国でマスタークラスに参加するようになりました。高校と並行してパリでスコラ・カントルムという音楽院でマルチェッラ・クルデーリの指導のもと「ヴィルトゥオジテ(名人技)」の卒業試験に合格しました。

- ドイツ行きはどのように始まりましたか?何年住んでらっしゃいます?

2014年、つまりまだ高校生の時、その夏のほとんどと秋の一部をドイツで過ごしました。目的は、異なる学校から来ている教授たちと知り合い、同世代の音楽家たちの知識・経験に習うことにありました。その夏、今でも彼のクラスでレッスンを受けているグリゴリー・グルツマンと知り合いました。2度目のレッスンが終わった後に、自分はどうしても彼のクラスで勉強したいのだと確信しました。彼はそれから1年を通じ、折にふれて私の成長を気にかけてくれました。翌年の夏、ヴァイマルにあるフランツ・リスト音楽大学の受験に申請しました。この6年間でヴァイマルとこの大学が自分の家になりました。

- ドイツではどんなことをしていますか?そこでの生活について教えてください。

ドイツでは、初めの2年間は練習に集中した期間でした。この間はコンサートを開いたのはごく少なく、自分が置かれた新しい環境に適応するよう努めました。ヴァイマルは特別な都市です。バッハやシラー、ゲーテ、リスト、ニーチェ、グロピウスはじめ多くの著名人がここで暮らし活動しました。1850年代からまったく変わっていない街の中心は、間違いなく当時の雰囲気を多分に保っているはずです。大学だけではなく、ここでの暮らしや人々との間に築いたコミュニケーションからも、数多くのことを学びました。もちろん2017年以降、多忙なコンサートツアー生活が始まったことで、自分の時間の大半をホテルで過ごすようになりましたが、ヴァイマルに戻り、ここで生活し、ここに住む音楽家たちと一緒に音楽をやることでインスピレーションが得られるのです。


*1- https://www.icma-info.com/winners-2021/ 

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