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チバユウスケの訃報を聞いた翌々日にモッズスーツを仕立てに行った話

12月7日、チバユウスケの訃報を聞いてから2日後。気持ちの行き場がどこにもなかったから、思い切って幼い頃からの小さな夢を叶えることにした。

新宿まで出て小田急に乗り、初めて梅ヶ丘駅に降り立つ。
駅を出て数分ほど歩いた所に、ある種の人間にとっての"聖地"は独特の佇まいを持ちながら街に溶け込むように存在していた。

「洋服の並木」
ミッシェルガンエレファント(以下ミッシェル)のスーツ姿に憧れた者で知らない者はいない、ミッシェルのスーツを長年作り続けてきたオーダースーツの老舗だ。お笑い好きの方にとっては芸人さんのスーツを仕立てているイメージが強いかもしれない。

元々モッズ界では有名なお店だったようだが、ミッシェルのスーツ姿が与えたインパクトから裾野は広がり、ある者は成人式用に、そしてステージの衣装、はたまたとびきりの仕事着にと「ハレの日」のスーツを長年仕立て続けている。

子供の頃の自分も多分に漏れずミッシェルの佇まいに憧れていて、いつかは並木で仕立ててみたいなとぼんやり夢見ていた。
趣味や嗜好も年齢を重ねて移り変わりそんな淡い憧れも忘れかけていた2023年の終わりになって、チバユウスケの訃報を聞き行き場のない気持ちが私を並木に向かわせるなんて思いもしなかった。彼は亡くなってもこうして私の「最初」を奪っていくのか、と思ったら少し笑えた。彼が私の思春期につけた刻印のような刷り込み、パンクやガレージやたくさんの音楽との出会いみたいに。

一見やっているのかやっていないのかもわからないような(失礼)、独特の雰囲気を放つ小さなお店に恐る恐る足を踏み入れる。少し勇気が要った。
お店の半分は布と言っていい。テキスタイルのことには明るくないが、ヴィンテージらしきもの、よく使うであろう定番っぽい無地、華やかな柄物…あまりにも大量の布が不思議な秩序を持って積まれていた。
古びたポスターも所狭しと貼られており、ここで錚々たる人々、そして彼らに憧れた人々がスーツを仕立ててきた濃密な歴史のようなものをお店の端々から感じる。

布、布、そして布(撮影許可頂いています)

お店の奥から出てこられたのは先代から継がれた二代目店主さんだった。
少し震える声で保存したスマホの画像を出しながら「97〜98年頃のミッシェルのようなスーツを作りたい。色は黒、スーツを仕立てるのは初めてなのでディテールやシルエットはお任せしたい。いつかは決まっていないようだがチバさんのお別れ会が行われるそうなので是非そこに着て行きたいと思っている」という希望を端的に伝えた。

おそらく97年ごろのアー写を参考画像にお見せした

私は内勤OL制服やゆるゆるオフィスカジュアルばかり着てきたのでスーツと言えば就活吊るしスーツのようなものしか縁がなく、スーツのことを本当に何も知らないまま行ってしまったのだが、とても丁寧に資料を交えながらミッシェル・スタイルのディテールなどを教えていただいた。
資料として見せていただいたアベフトシ本のスーツ紹介のページの折れ方が、今でもミッシェルのスーツに憧れて並木を訪れる者の多さを物語っていた。

アベフトシ本(ギター・マガジン編集部)

ベーシックな細身の黒、白シャツに黒いナロータイを合わせる形の97〜98年型でオーダーすることにしたのは私のミッシェル・ライブ原体験がその頃だからだ。目に焼きついて消えない強いコントラストと研ぎ澄まされたシンプルさは今でも私の中の「かっこよさ」の大きな指標になっている。

後からスーツについての本を買うなどして調べて知ったのだが、オーダースーツには大きく3種類あり、並木で私がオーダーしたのはおそらく「イージーオーダー」というスタイルだった。サイズのベースとなるサンプルを実際に着ながら細やかに体型に合わせた補正を加えていき、襟の開きやポケットの位置などもより理想に近くなるようアドバイスを頂きながら決めていった。私は直線的な体型ではあるものの、小柄で女性なのでシルエットを無理のない範囲で理想に近く作っていただくようにした。余談だがこのあたりで「年末年始、絶対に太れないな…」と思うなどした。

パンツの細さや丈、靴(ミッシェル準拠の場合、基本ドクターマーチン10hブーツだそうだ)に合わせたシルエットも作っていく。
「パンツの細さがチバさんと同じくらいですね」と言われ思わず少し泣いてしまった。
長年ミッシェルの、チバユウスケのスーツを仕立ててきたお店の方にしか言えないさりげない一言に、確かにミッシェルがここにいたこと、このお店が数えきれないほど彼らのスーツを仕立ててきたこと、共にしてきた年月、職人、が詰まっていた。

ジャケットは男前と女前で少し悩み、せっかくなので左見頃が上の男前、つまりミッシェル準拠にしていただいた。洋装は和装とは違い、女性が男前のものを着ても何のマナー違反でもないためデザイン上の選択肢のひとつとして捉えた。

とても手早く手馴れた丁寧なお仕事で、あっという間に補正が終わった。

あとは生地、裏地やボタンなど、さらに細かいディテールを決めていく。
生地は黒と決めていたため、少し浅い黒・漆黒・艶のあるステージ衣装っぽい黒から漆黒を選んだ。
ボタンは迷いなく3つボタンのくるみボタン。
裏地は見本を見せていただいて「ミッシェルのメンバーがよく使っていた色」を教えていただき、初期チバユウスケ仕様に。
内側に名前の刺繍も入れられるのだがここは思い切って「千葉」とした。
さすがに少し恥ずかしかったが、たまにそういうファンもいるそうだ。

全部決まったらお会計。シンプルではあるけれど沢山の要望を詰め込んだのに「ちょっといい服」くらいの価格で驚く。出来上がる前なのにまた作りに来たいなと思う。
会計後に思わず「子供の頃からずっとここでスーツを作りたいと思っていたんです」と思わず口からこぼれて照れた。

ミッシェルのスーツは92年、アベフトシ加入前から作っているそうだ。
「ミッシェルのスーツ」については質問したら沢山教えて頂いたけれど、メンバーのプライベートや個人の人柄のような話が全然出なかったことにもとても救われたし、こちらも「チバさんの訃報のショックで来ました」という私情ダイレクトワードは一切言わなかったのだけれど、いつあるかもわからないお別れ会のために成人式前の繁忙期と思われる中で納期を早めにしていただいたり、とてもさりげない形で気持ちを深く汲んでくださって本当に心が助かったのだった。

ということでなんと年内に引き取りに行く事が出来た。ジャケットが男前仕立てのためレディースの女前ブラウスでは違和感が出るだろうと用意したボーイズ160サイズの白シャツと黒のナロータイ、靴は脱ぎ履きを考えてドクターマーチンの10hブーツではなくチェルシーブーツを身につけて伺う。

天井にはミッシェルの懐かしいポスターが(撮影許可頂いています)


伺うなりすぐに仕立て上がったスーツを出して頂き、試着室で袖を通した瞬間にこみあげるものがあった。
全身鏡に映る自分はミッシェルとは似ても似つかないちんちくりんなフォルムだったが、縦ラインが強調されたシルエットと丁寧な縫製で自分のためだけに作られた美しい仕立ての、あの日憧れたスーツが確かにそこにあった。

布とスーツと私

行き場のなかった感情をかつて憧れたスーツにするという悲しくも特殊なかたちではあったが、自分にとっての特別な服が増えた。チバユウスケの不在を受け止めて生存を続けるため、大切なものを記憶に留めて前進するための背筋が伸びる服。

このスーツは普段着にはならないだろうし、着るシーンも限られているだろう。それでもただのコスプレにはならないように、姿勢や体型、所作を整えてずっと大切に着ていくつもりだ。

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