人に何かを伝えるのは難しい
その昔「人が何かを伝えた時、その70%ぐらいしか伝わらない」みたいな内容の記事を読んだ気がして、朧気にそのフレーズだけ頭に残ったまま今に至ります。
検索をかけたところ、恐らく自分が見たその記事は「メラビアンの法則」というヤツで、朧気に残っていたフレーズとはまぁまぁ違っていました。
全然違うし、多分70%だと思ってたとこ7%だし、何なんだ。
正しい理屈として存在するかは別として、自分が思っていることを親切丁寧いい感じに伝えても70%ぐらいしか伝わらないって考え方は実際そうだと思うし、だから人に何かを伝えるのは難しいと思う次第なんですね。
例えば近所のラーメン屋さんに行ったとして「人気メニューの醤油とんこつラーメンとニラ玉チャーハンのセットがメチャクチャおいしかった」とします。
ではどう美味しかったか、スープはどう?トッピングは?ニラ玉チャーハンとの組み合わせは?みたいな情報を組み合わせて、自分の言葉で出力する。
加えて相手の知らないような情報が含まれていたらどう伝えるか、どんな見た目?どう例える?などなど、「ラーメンがおいしかった」という情報を相手に伝えるだけでも様々な情報を出力する必要が出てきます。
ただ「前食った近所のラーメン屋がおいしかった」と終わらせることは簡単ですが、いざ相手がその情報に食いついてきた時、結局「スープは醬油とんこつだった」だの「ニラ玉が良かった」だのを伝える必要が出てくるでしょう。
ただ感想を述べるだけだと思えば簡単に思えますが、相手が内容を理解してくれたかを考慮すると、一気に難易度が高くなる気がします。
これがラーメンの感想ならまだバッドコミュニケーションで済みますが、これが「新人の教育」「リフォームの相談」「医者への症状の説明」などとなると、仕事へ支障が出たり見当違いの処方箋を出されたり…みたいな結果につながるかもしれません。
そう考えると「人に何かを伝える」という行為は案外侮れないものであると同時に、冷静に考えると結構難しい行為のように思えますね。
じゃあそれがnoteのように不特定多数に対して情報発信する行為だったら?その辺の話になると読者のペルソナ像みたいな話になっちゃいますが…
この話はあくまでも持論で正しい確証はどこにもないですが、何かを伝えることは難しいからこそ、こういう文章を書くのは奥深く感じるのです。
読者はどんな情報が欲しいのか、どういう文体ならわかりやすいのか、画像のチョイスや引用元、詰めれば詰めるほど個人の色が出やすく、最終的に出力された文章からは筆者の性格や背景がにじみ出てくるものと考えています。
だからこそ昔ライターになりたかったなんて時期があったりしましたが、まぁ今は昔というやつです。
今回はこんな感じで、ではでは。
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