自分を作り上げたラジオ4選の解説

はじめに

まずは、こちらからご覧ください。

 やっぱりこの4番組は格別です。それぞれの番組にそれぞれ違う大切な思い出があるからです。このNOTEでは各4番組について解説や思い出語りをしてみたいと思います。順番の前後はご容赦を。

1 「FM深夜バラエティーwktkの枠」

 放送期間は2012年4月8日から2016年の9月24日。毎週土曜24:00~26:00にJFN20局ネットで放送されていました。パーソナリティーはニコニコでも超有名なMCである百花繚乱と二宮係長。ニコニコで活躍する歌い手やクリエイターのみならず、アニソンシンガーや声優もゲスト出演するのでアニラジ的な側面もありました。また、当日企画やコーナーメールも毎週募集していて、AM風の深夜ラジオの側面もある構成でもありました。

 何と言っても画期的だったのが、ニコニコ生放送での同時配信です。今でこそLINELIVEやミクチャなどでのスタジオ配信は珍しくない話ですが、当時としては画期的だった上、普通ならその手の配信では楽曲までは配信されないのが、この番組についてはバリバリ流していたんです。つまり、ラジオの音声とニコ生の音声は、CMやフィラーを除けば同じだし、むしろCM部やフィラー部分の裏トークも聴けちゃうというとんでもない番組だったんです。

 高校1年の頃の5月に、僕はニコニコ大好きな友人の勧めで聴き始めました。当時FM石川でもフルネットでしたから、聴きやすかったんですよね。生メールやコーナーメールに恐る恐る送っていました。JFNのあの無骨なフォームで、本当に届くのか?と半信半疑になりながら。すると…聴き始めて2週間くらいして、読まれたんですよね。マジで飛び上がるほどうれしかった。しかもあの時以降、僕のメールやTweetが読まれたらばさあTLでは「ヴェルさん読まれた!」のコール。これが嬉しくてうれしくて、ガチで没頭してしまいました。本当に嬉しい限りです。

 この番組にはじめてをささげたのは採用だけではありません。電話出演、イベント参戦、リアクションメール、そして番組の空気が合わなくなりドロップアウト…などなど。特にイベント参戦は思い出深いです。2015年に東京のお台場で会ったイベントにマジで参加してきまして、その時にパーソナリティーに会ってRNを告げることができたのはマジで嬉しかったです。そしてこの時に友人に秋葉原とか連れまわされて、アニオタとしての側面も爆発させてしまうというのはまた別の話…ww

 ドロップアウトしたのには理由があります。2015年の末に繚乱さんが番組から事実上降板してしまったんです。ガチでショックでしたね、繚乱さんありがとう企画でニコ動作ったくらいショックでしたね。ま、とにかくそれ以降、各アーティスト3組が週替わりで準レギュラーとして番組に入るという構成に変わったんですが、これがよくなかった。その準レギュラーのファンばかりが読まれる構成になってしまい、かつてのリスナーはあまり出てこれなくなりました。しかもその準レギュラーのファンと言うのは、当然ながらそのファンが出ている時しか基本聴きません。なので確固たるリスナー層ができにくくなってしまいました。このあたりから「合わない」と思ってしまい、ドロップアウト、ラジアンリミテッドへの移籍をしたということです。

 最終回が予告されたときも「まぁあれじゃ…」と思ってしまったのはだいぶ足りないリスナーだったなと今にして思います。その時に繚乱さんが戻ってきて、往年のwktkの枠の放送が復活しました。あれだったらまだまだやれるよ!って思ったんですけど…。そういう理由があり、終わり方に納得がいっておらず、長らくこのラジオについて話すことはしていなかったんです。また、「所詮はラジオだけのつながり」と言う人が多く、番組が終わった瞬間、たくさんのリスナーさんがいなくなったり、あるいは僕のもとを離れて行ってしまいました。そういう記憶もつらかったんです。でもやっぱり今の自分の基礎を作ってくれた番組なので語らないわけにはいかない。今でも感謝していますし、本当に復活してほしい番組だと思ってます。


2 やまだひさしのラジアンリミテッドF

 2010年4月3日からTOKYO FMとJAPAN FM NETWORK(JFN)系列全国36局ネットで放送されていて、毎週金曜25:00~29:00の放送です。また、ラジアンリミテッド自体は名称と時間を変えつつ続いており、最初はSCHOOL OF LOCKの時間帯に月~木で1999年に始まったのが、曜日は変わらず25:00~27:00に放送されたラジアンリミテッドDX時代を経てFになったという経緯があります。

 この番組を聴き始めた理由が酷いレベルで不純で、上にも書いたようにwktkの枠が嫌になったからです。当時wktkの枠のケツモチDJをやっていたのがやまだひさしさんで、そのやまださんがやっているラジアンリミテッドをずっと聞いてみたかったんです。それが2016年の5月くらいの話じゃなかったかなと思います。

 ところが、聴き始めているとめちゃくちゃおもしろい。wktkでもう味わえなかったあの感覚が、ラジアンにはそっくりそのままあったんです。メールテーマで読まれる感覚、リアクションメールを読んでもらえる嬉しさ。そして27時以降の収録ゾーンでのネタコーナーの難しさ。ところがその収録ゾーンでも10月に初めて採用を貰った時は震えるほどうれしかった。まさに僕に「深夜ラジオを教えてくれた番組」と言えると思います。

 この番組には「ネタ職人番付」と言うものがあります。27時以降のネタコーナーで読まれるごとに、1ポイント加算されて、上位10位までの入賞者のうち3人は年末にTOKYOFMにスタジオ招待されて収録に参加できるというとんでもない特典があったんです。それを知るや否や僕はガチで送り始めました。年末の大喜利祭りはお題が採用されると2ポイントも加算されるのでそれもガチで。そのような積み重ねをした結果、なんと年末までに10位に滑り込んでしまったんです。マジか…となりました。俺東京行けるんじゃ…

 ところが実際はこの年にちょうど企画が変わり、入賞者1名だけがAD体験ができるというものだったんです。しかも生放送で。結果的に僕はいけませんでしたが、当然ですね。だって生放送に呼ばれてAD体験だなんて、当時の僕は17歳ですよ。そんなことしたら関係各所に怒られますよね。だから当時は結構恨みました。制度が変わったとか、AD体験に行った人を恨んだとかそんなんじゃないです。自分の年齢を恨みました。もっと早くラジアン聞いとけば…と思いましたね。だからなのかよりネタには全力を出すようになりましたし、特典が年間1位に贈呈されるカタログギフトになってからも頑張って送りました。おかげさまで2019年には1位になれました。その時の特典はまだ来ていないですが…。これもコロナの影響なんだろな。

 長々思い出を書いてしまいましたが、まだまだ書きたいくらいです。ネタの事、大喜利祭りのこと、夏恒例のお盆お盆ブランコ、伝書鳩やったことなどなど…。正直言って、一つ一つの思い出を書くだけで1本の記事にできると思います。それだけ思い出が多いのは、やはり一番長く聞いていて一番好きな番組だからです。高校時代はラジオと言えばやまださんでした。浪人していたときはラジオもだいぶ撤退しましたが、ラジアンだけは聴き続けていました。そして大学に入った今もラジアンが一番好きです。深夜ラジオを教えてくれた番組だし、いつもやまださんの声に支えられていたし、それが習慣、日常となっていました。ラジオに恩義がありすぎるんです。ラジアンに恩義をめちゃくちゃ感じているんです。どうにかして恩返しができないかと考えているくらいには。今自分ができる恩返しは、ラジオを聴くこと、そしてメールを送ることだと思います。でも、いつかは何らかの形でそれ以上の恩返しがしたいとめちゃくちゃ思っています。それもラジアンがそう思わせてくれたんです。はやくやまださんに会いたいな。

『周波数合わせれば 君はひとりぼっちじゃない』

3 Sunset Express MOVE

 FM石川のローカルワイド番組です。月~木の16:30~19:00放送のワイド番組です。wktkとラジアンを知った僕は、次第に地元局の番組にも志向を示していきました。

 FM石川は本社スタジオが外から中が見えるオープンスタジオとなっています。よく暇を見つけては見に行きました。これが芸能人とかが来るのであればスタジオ前は人でごった返しますが、そうでない平場の時にラジオスタジオを見に行くなんてのは真のラジオ好きぐらいしかいません。僕は断然後者でした。

 そんなリスナーは局としても珍しかったようで…あれ?この話どっかで書いたぞ?思い出した。FM石川の話はこちらが詳しいので、まずはそちらをご覧ください。

 ここから先は上の記事では書かなかった話をば。

 大学受験期間中と浪人中は、MOVEからは撤退していたとはいえ、時々聴く専でいました、現役時のセンターの前日、番組からメールが届いたんです。普通逆でしょ、こっちがメールを送るのに、番組から。

ヴェル君、こんばんは(*^_^*)センター試験、受けるのかな?
風邪ひかないように、頑張ってねー!

 えっこんなことってあるの!?と思いました。感激しましたね。覚えててくれてたんだと。それを胸に頑張って試験は受けましたが、爆散。素直に浪人しました。

 浪人期のセンターは全くそのような知らせはなかったのですが、まあないのが当然だからな、と思ってみていました。それで、受かったときに番組にメールをしたら、あの時の如く返信が。

今、木村さんにメールを渡してきたら 嬉しそうにニコニコしながら読んでました。もうすぐニュースの時間なのに・・・(笑)会いに来てくれるのを楽しみにしています\(^o^)/報告ありがとうね。

 そしてそのパーソナリティの木村雅幸さんからも。

本当に良かった。
センター試験前に激励メールを送ろうと思ったけど、プレッシャーをかけてはいけないので控えていたのです。
うれしい報告が届いてホッとしました。

 なんだかすごくうれしかったです。ローカルラジオって、言うまでもなく公共の放送であることには変わりないんですけど、こうやって自分のことを知って思ってくれるってところでどこか家族みたいなところがあるなって。この点でもラジオに恩義を感じています。パーソナリティ、技術さん、リスナー仲間さんに支えられて今があるんだなって言うのがこの一件からもよく分かる。ラジオにマジありがとう。ラジオ大好きです。マジで恩返ししたい。


4 JUNK 山里亮太の不毛な議論

 最後は大学生になってから聴き始めた不毛について。これは2010年からTBSの水曜深夜枠で放送されていて、毎週水曜日25:00~27:00放送です。

 FM畑を歩み、オールナイトニッポンには目もくれなかった僕ですが、ずっと不毛に関しては東京在住のフォロワーさんからおススメされていて、ラジコプレミアムに加入したら必ず聞こうと思っていました。そして大学1年の夏にようやく加入したんですが、加入して初めて聞いた日が大喜利甲子園でもう何が何だかだったことを思い出します。

 テレビでも見るような超有名人の番組に投稿だなんて最初は考えられなかったし、投稿が読まれるなんてそれこそ嘘だろと思っていました。現に送っても送っても…だったのですが、だからこそ初めて採用されたときの強烈なインパクトは今でも思い出せます。この番組は在住地もコールされるのですが、山里さんが「新潟県!」と呼んだ瞬間「お!?」となり、その後あの声で僕のRNが読まれる。しびれました。初採用はマジで嬉しかったです…!

 こういう深夜放送はそれこそコーナーのレベルが段違いで、今でもコーナーで投稿して読まれるなんてことは難しいのですが、そんな僕でも一時期効果音女子というコーナーで採用が続いたときがありました。これは…あれ?これも最近書いたな。この思い出はこちらの記事に譲りますのでこっちをご覧ください。

 今まで書かなかった思い出を書いてみます。

 この番組には一時期「どあたまのメール」という、リスナーの日常を番組冒頭に紹介するコーナーがありました、ネタコーナーではなく、まじのふつおたコーナーです。しかし1回に1枠だけのすごく貴重なコーナーです。

 その当時僕は自動車学校に通っていて、運転の練習にめちゃくちゃ苦労をしていました。もうくじけかけていたのですが、同時期に山里さんが自動車運転免許を取得するべく自動車学校に入ったとの報告が。マジか!自分のあこがれている人が自分と同じ目標に向かって励んでいるとはすごい。そう思って、自分はこんなメールを書きました。

山里さん!教習の進み具合はいかがでしょうか?
僕は先日、やっと仮免許を取得することができました!今では公道に出て、教習を楽しんでいます。
最初は法定速度の時速60キロを出そうものなら怖くて仕方なかったんですが、今ではだいぶ慣れてきて、場内では味わえない、移り行く景色や様々な道を体験して、ドライブが楽しいなあって思えてきました。
そして、やっぱり自動車を運転できるってすごく高等な技能なんだと、教習を受けていて感じます。
自分が今こうして教習を頑張れているのは、きっとボスも頑張ってるんだと思うとモチベーションが上がるからなんです。免許取得まで、お互い頑張りましょう!

 そしたら、このメールが、山里さんが路上教習を開始した回で読んでいただけて。それでこちらもすごく放送上で励ましていただけたんです。めちゃくちゃ嬉しかったです。そしてこの回の放送も上のメールをベースに話が進んで行って、もう震えるほどうれしかった。この時改めて思い出したのが、自分は何故メールを送り、何故ネタを送るのか?ということです。むろん自己顕示欲もあります。それは当たり前です。ですが、やっぱり決められた放送の尺を自分で満たしてもらえたこと、そして人の長い人生のほんの一部を自分で満たしてもらったことの嬉しさってあるんですよね。このメールで、山里さんのモチベーションや、同じ状況にあるリスナーの人の気持ち、過去に同じ経験をしてきた人の記憶を刺激できたと思うともう感慨深くて仕方なかったです。現に僕もこの採用があったからこそ、教習を頑張れました。

 もう1つの思い出はFAXです。いつもお便りの宛先をFAXでも言うんですが、「それであまり送られてこないよね?」という山里さんの発言が。となると、送るしかない、善は急げだ!と思い、手元のルーズリーフに書きなぐりました。そして近所のコンビニへ行ってそれを送ると。自分の家にはFAXがないから、こうやって送るしかないんです!ということを書いたら、そのFAXが採用。山里さんも「えー!こんな夜遅くにごめんね!」と気遣う発言が。それも嬉しかったし、やっぱりこういうことが叶うのも生放送だから何だなってすごく思いました。


おわりに

 過去最長の投稿をここまで読んでくださりありがとうございます。この4番組だけでもここまで書けるのに、他の番組まで加味するとどうなるのか…。その位僕はラジオに支えられているし、恩義があります。どんな形になるか、それはわからないけど、ラジオに恩返ししたいなと思います。ラジオだけじゃなくて、恩返ししたいものはいろいろあります。これからそんな日々になっていく、いやもうそんな日々を送っているのかもしれません。ラジオで得られた素敵な縁や思い出を大切に、これからも楽しく生きていきたいです。


 やっぱりラジオが好きだー!!!!

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