ドラム缶の家をめぐる若者たち

愛知県三河地方。
ここには60年代から70年代にかけて、そして今もひっそりと、ドラム缶つまりコルゲートパイプを外壁として、使った建築群が残っている。

この連載は、それら建築群を作った人たちがどんな人たちで、なぜ愛知県の三河、特に東三河地方であったのか。
そこにはどんな共通認識があり、青春群像があったのかを、時間をかけてでもいいから追ってみたいと、僕は考えた。

僕自身は、それらドラム缶の家群のひとつを手掛けた、群像の中のひとりの登場人物の息子であり、それ以上でもそれ以下でもない。
もちろん、代弁者ではない。
僕がここで行いたいと考えているのは、その群像ドラマは決して特別ではない、普遍的な若者たちの青春だったということを記すことだ。
もちろん彼らのほとんど(皆と言ってもいいかもしれない)が、一般以上には恵まれた境遇にあったという事実を否定する気もない。
突出した何か、誰かによって、その「普遍的な若者性」というものが、なかったことにされてしまうのが、とっても嫌、なのだ。

とりあえず、今日は実家の母に連絡をする。

「川合健二マニュアル」を送ってくれ、と。
その本と、1966年に出版された「アサヒグラフ」から始まる。

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